髪を切った。
大体いつも、吉祥寺で美容師をしている高円寺在住の友人Nちゃんに、髪の毛を託している。
彼女のことはいつも名字呼び捨てで呼んでいるのだが、こうして名を伏せてアルファベットだけにするとなんだか他人行儀に感じるので、今回限りちゃん付けとする。
そろそろ髪を切りたいなと思ったとき、自分のスケジュール帳を開く。
吉祥寺、阿佐ヶ谷、高円寺、下北沢で予定があるときは美容室チャンスだ。
吉祥井は井の頭線、中央線、総武線が通っているから。
わたしがこれらの場所に行くのは、大抵ライブの為だ。
以前と比べてライブの本数は激減したが、いつもどこでライブしているのか聞かれたら「高円寺か下北沢辺りですかね」と答える。
図らずとも、そうなる。
他の人がどうなのかは分からないが、わたし一人の結果だけで、高円寺や下北沢が「音楽の街」と言われていることに納得してしまう。
ギター、バッグ2つの大荷物を抱えて、Nちゃんの働く美容室に行く。
この大荷物をもはや大荷物だとも思ってないのだが、人に会うと大体「すごい荷物ですね」と労われる。
でも、Nちゃんからは言われたことがない。
美容師として佇むNちゃんを見ると一瞬緊張するが、わたしの普通を同じ普通としてくれる彼女は、やはり友人のNちゃんである。
この後は、高円寺でライブがあった。
タパスバー・トリツカレ男のオーナーさんがされているGallery Rústico(ギャラリー ルスティコ)にて。
わたしのCDジャケットやグッズの絵を書いてくれている、目黒しおりさんの個展内でのライブだ。
髪を切ってもらいながらそれを話すと、Nちゃんが「終わった後、なにしてんの?」と聞いてきた。
待ってました。
わたしも、誰か誘って飲みに行きたいと思っていたのだ。
だけど、もし断られたらとか、ライブ後体力が0になってたらとか考えると、結局誰も誘えなかった。
こうして、人を誘えない人間が出来上がっていく。
手を差し伸べてくれたNちゃんとの飲みの予定をがっちり掴み、いざライブへ。

音響なし生音で、合計2時間のライブ。
腹から声を出し、全力を尽くした。
危ぶまれていた体力も「飲みの予定バフ」がかかったのか、無事だった。
仕事を終え迎えに来てくれたNちゃんと共に、夜の高円寺へ繰り出す。
日曜の割にやたら居酒屋が混んでいたが、次の日がワールドカップ日本戦で有休を取る人が多いらしい。
朝5時から試合らしいが、日付が変わる頃まで飲んで果たして起きられるのか、寝ずに試合を迎えるのか。
目当ての、ネパール居酒屋「祭り太鼓」もほぼ満席だった。
中を覗くと、一時期親の顔より見ていたスタッフさんが忙しそうにしている。
入り口付近で待っていたら、飲んでいたお客さんが「そろそろスタッフさん来ると思うから、もう少し待ってね」となんだか接客をしてくれた。
ああ、わたしの知っている高円寺は、今もここにある。
高円寺よ、永遠なれ。


喜びに浸るのもつかの間、腹が減って耐えられなくなった我々は、中国飯店「福来門」へ行く。
福来門は、食べ物がとにかく美味い。
花椒がビリビリに効いた麻婆豆腐が好きなのだが、高円寺で最も好みな麻婆豆腐を出してくれるのは福来門だと思っている。
2人して、最初の注文で白米を頼んだ。
最初から最後まで〆続けていこう。

突然Nちゃんがわたしの取り皿を手に取って「初めて見た」と言い出した。
何事かと思ったら、片栗粉を分解してサラサラにしてしまう体質の人がいるらしく、わたしがそれだと。
確かに、わたしの取り皿の方だけ残りが液状になっている。
自分が使った箸やスプーンが料理に触れた瞬間に溶かしてしまうので、片栗粉独特のとろみがほぼ味わえないらしい。
35年生きてきて、初めて知る事実。
そういえば、皿うどんを食べた時いつも水っぽい気がしていたが、そういうもんだと思い込んでいた。
中華丼はあまり好きじゃない。
全てが繋がった。
そして思う。
わたしはこれから人と一緒にご飯を食べるとき、今まで以上に注意を払わなくてはいけないのでは?
そして片栗粉のとろみを、人生で味わうことなく終わっていくのか?
知らない方が幸せなこともあるのだろうか。
Nちゃんが今度は、わたしの水のようになった中華スープの皿を見て爆笑していた。
まぁ、なんでもいいか。
他愛のない話から、結構まじめな話までした。
Nちゃんはわたしの8歳年下で、出会った頃は「りえみたいな大人になりたい」なんて言ってくれていた気がしたが、今では一切聞かない。
色々露呈したのだろう。
こうして今も一緒にいてくれるだけで、それだけでいい。
高円寺にいた頃は毎日お酒を飲み、お酒楽しー!なんて思っていた。
けれど、楽しいのはお酒じゃない。
子供のように笑って、大人になっていくように泣いた友達。
わたしが違和感なく過ごせたのは、そんな人達のお陰だった。
ハツラツとして面白いNちゃんは、誰とでもすぐ打ち解ける。
明るい所には人が集まるから、わたし含め色んな人が彼女の周りにいる。
人がいればいるほど、街にいればいるほど、自然といろんな影響を受けていってもおかしくない。
それでも彼女は、ずっと変わらない。
Nちゃんは、いつもNちゃんだ。
変わることが難しいように、変わらないことも難しい。
なぜNちゃんは変わらないのだろう。
その答えはきっとあるのだけど、彼女はこうだからとつらつら書いていくのは、なんだか気が乗らない。
というか考えたくもない。
「Nちゃんみたいな人と、出会えてラッキー」
こんなアホみたいな感じの所で、終わらせたい。
「高円寺は、住む街じゃない」と、Nちゃんが言った。
「りえも会ってた人達も、みんな高円寺から出て行ったし、やっぱりそういう街なのかな〜」と。
わたしは、たまたまそうなっただけだけどね。皆はどうなんだろう。
Nちゃんもいつか出ていくのかね、なんて返しながら。
「高円寺は住む街じゃない」と言い切れるあなたこそ、住んでいても大丈夫な人なんじゃないか、とわたしは思った。
のうじょうりえ

千葉県出身のシンガーソングライター。
日々の悲しみや弱さや喜びの心象風景を「生きること」に視点を置いた文学的歌詞と言葉と共に、圧倒的なリアリティを持った美しい歌声とアコースティックサウンドで、自分自身と向き合う為の音楽を発表。
年間でワンマンライブやサーキットフェスを含む200本近いライブ活動を行なう。
2022年より「ツブサ・スギナミ」にてエッセイを連載。



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