のうじょうりえ「日々の余白・杉並 12(中身)」【エッセイ】

文章 : のうじょうりえ
高円寺

胃袋の中の高円寺

高円寺には月1回ほど行く。
以前より機会は少なくなってきた。
だから行く度に迷う。
今日はどこで食事をしようかと。
自分の腹は有限。
食べに行きたいお店全部は行けないので、今日の気分も加味して「高円寺での一食」を選ばなくてはいけない。
長年の高円寺暮らしを経て、街を離れた自分が候補に上げるのは、まず慣れ親しんだお店からだ。
思い出が深いお店。
知り合いがいるお店。
とはいえ、それだけでも何店舗もある。
こんなにも高円寺で思い出を作ってしまっていた。

そういえば、住んでいるときから今日はどこで食事をしようかとよく悩んでいた。
わたしは自炊を全くせず、外食メインだったので尚更。
生活リズム的に食事は1日大体2食。
夜食べるとあっという間に太る為、なるべく夜は軽めにしたく、1.5食を目指すつもりではいた。一応。
そうなると、がっつり食べられるのは朝。
わたしにとっての朝食(一般的には昼食)は、好きなものを好きなだけ食べて良い、チャンスタイムだった。
満腹まで食べるのが好きだったので、その一食が楽しみで仕方がなかったし、その一食に懸けていた。
明日起きたら何を食べようか、考えながら眠る小さな幸せもあった。

渋谷で用事があった日、わざわざ移動して高円寺へ来た。
あくまでわたしの好みなのだが、渋谷はどうも肌に合わない。
人の多さは慣れたけど、空気が苦手なのだ。
こんなに人がいるのに、人の温度を感じない。
「1人」が沢山いるような感覚。
お腹は減ったけど、なんとなく長居したくないし、渋谷にいるとより高円寺が恋しくなった。
高円寺は人と街が1つの「丸」になっているような感覚。
渋谷から高円寺は意外にも20分ほど、たった178円で着いてしまう。
おにぎり1個の値段で、日本を代表する大都市から、日本のインドと呼ばれる高円寺へ行けるなんて、東京は奥が深い。

高円寺に着き、さて何を食べようかと冒頭に戻る。
最近はめっきりお酒を飲まなくなり、飲みたいとも思わなくなったが、高円寺に来ると自然と飲みたくなる。
まるで条件反射だ。
「高円寺」の文字を見るだけで、お酒が頭に浮かぶ。
これは高円寺のせいじゃなく、自分が高円寺時代お酒を飲みすぎたせいだ。
お酒が飲みたいとなれば、居酒屋か。
馬力のチューハイがそろそろ恋しくなってきた。
思わず飲んだとき「ああ〜」と声が出てしまうようなチューハイは、前回行った馬力以来飲んでいない。
ただ、居酒屋に行くにしてはお腹が空き過ぎている。
つまんでいくよりは、がっつり食事を取りたい。
ウシータ、バーンイサーンもいいな。どうしよう。
悩んで街を彷徨いかけたとき、ふと思い出した。
この前自分が「櫂ちゃん食べに行きたい」と呟いていたことを。
餃子屋の看板を見たとき、思わず口からその言葉が漏れていた。
会話の脈絡はなかったので、一緒にいた友達には無視された。
潜在意識から呼び起こされる、櫂ちゃんの味。
JR高円寺駅から櫂ちゃんは多少歩くし、あの辺りはギリバレるくらいのなだらかな坂になっているけど、今日は楽器も持っていない。
今こそ行く時だ。
思い立った瞬間、導かれるように新高円寺方面へ足が向かっていた。

「チンピラ中華」と称される中華屋、櫂ちゃん。
店主さんの風貌からそう言われるようになったそうだ。
しかし櫂ちゃんの料理を一度食べれば、チンピラ中華なんて言いたくなくなる。
別のお店のことだが、SNSでタトゥーが入っている人が作った料理はなんとかと炎上していた。
それを見ながら、文句言いたいなら一度食べてみたら良いのにと思った。
櫂ちゃんのように、味で黙らせられるようなお店があることを知っていたからだ。
櫂ちゃんの料理は愛称とは真逆で、派手じゃなく物凄く優しい。
尖りのない旨味が隅々まで詰まっていて、味の隙間がない。
丁寧、真面目という言葉がそのまま料理になったようだ。
この料理を作っている人は絶対優しいはずだ、と一方的に決めつけたくなってしまうほど。
分かりやすいものがバズりがちな時代だけど、何より大事なのは中身だ。
櫂ちゃんの料理を食べると、毎回そう思う。
この味に教わって、元気づけられるものがある。

この日初めて食べたオムカレー。
これがまた衝撃だった。
オムカレーっていうと、オムライスのソースがカレーになっているもの、もしくはカレーライスにオムレツを乗せているものってイメージだった。
櫂ちゃんのオムカレーは、オムライスとカレーがどちらもおまけじゃなく主役で、かつ尊重し合っていた。
このカレーだからこのオムレツ、このオムライスだからこのカレーと必要不可欠で、正に「オムカレー」だった。

これだけでお腹いっぱいになりそうだけど、どうしても気になって頼んでしまったのがこちらの麻婆牡蠣。

麻婆牡蠣って料理名を初めて目にした。
珍しい料理だから、今度こそ一風変わった味がするのかと思いきや、ちゃんと櫂ちゃんの味だった。
ブレない。
牡蠣まで手なづけてしまうとは、さすが櫂ちゃんである。

櫂ちゃんにはしっかりお酒もある。
「1杯くらい飲みたい」の気持ちを捨てきれていなかったわたしの心も、満たしてくれる。
そして居酒屋でも中々置いていない「だいやめ」まである。
芋焼酎は苦手だが、だいやめだけは別だ。
阿波踊りのとき路面出店していた櫂ちゃんのクエン酸サワーを飲んだのだが、クエン酸サワーを頼む人の舌をよく分かっているような塩梅で、大満足したのを覚えている。
お酒にも手を抜かないお店なのだと思う。

ところで、櫂ちゃんの店主さんが変わったらしい。
ネットで調べていたらこの動画を見付けて知った。
確かにわたしが行ったときも、この方が料理を作っていた。
しかし、味は全く変わらず。
朝営業も始まるそう。
これからの櫂ちゃんも楽しみだ。


大事なのは中身だからね。

矛盾

音楽以外の趣味といえば、ゲームくらいしか思いつかない。
高円寺にいたときからよくゲームをしていたが、離れた今の方がゲームのプレイ時間は増えた。
理由は明確、娯楽の数が減ったからだ。
高円寺は娯楽、誘惑とも言うだろうか、それが多い街だった。
知り合いのミュージシャンが「住んだら楽しすぎて絶対ダメになるから高円寺には住まない」と強く宣言していた。
誘惑の中で日常を過ごしていた訳だが、自制心がなければ飲まれてしまうだろうと、肌で感じていた。
高円寺に住むにあたり、持つべきものは芯かもしれない。

現在娯楽が減ったとはいっても、不満はない。
インドアに磨きがかかり、休みの日は一歩も外に出ず家でゆっくりゲームをしている。
休みに出掛けることで気力を回復させる人もいるそうだが、わたしは確実にそうではない。
多分だけど、1人で外に出ても知らない周りの人に気を遣って疲れてしまうのだと思う。
家に帰ると、動いた疲れとは違う疲れがどっとくる。
以前は毎日のように人に会って、飲みに行っていたのが嘘みたいだ。
だけど、そんな自分も本当だった。
あの時は確かにそれが自分にとっての救いで、癒しだった。
おかしな矛盾も生まれていくものである。
これが変わっていくということなのだろうか。

11月にやり込んだゲーム、ポケモンZAに出てくるクロワッサンカレーを作った。
大分生活は変わったけれど、今は今で楽しんでいる。
そんな自分も本当だ。



ライタープロフィール

のうじょうりえ

千葉県出身のシンガーソングライター、エッセイスト。
日々の悲しみや弱さや喜びの心象風景を「生きること」に視点を置いた文学的歌詞と言葉と共に、圧倒的なリアリティを持った美しい歌声とアコースティックサウンドで、自分自身と向き合う為の音楽を発表。年間でワンマンライブやサーキットフェスを含む200本近いライブ活動を行なう。
エッセイストとしても活動し、2022年より「ツブサ・スギナミ」にてコラムを連載中。

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