杉並の妖(あやかし)を作ってみた【阿佐ヶ谷・喫茶天文図舘】

文章・山城隆輝(喫茶天文図舘)
阿佐ヶ谷

「赤っぽく黄ばんだ丸い火がスーッと上がり、(中略) スーッと消えるのを見て『また狐火が燃えているなあ』と話し合いながら、魚獲りを続けていました」

これは杉並区歴史探訪に載っている一文である。
時代は明治の末期。
場所は、高円寺南の長仙寺だ。

高円寺駅を背にパル商店街を一本右に入ると赤い大手門が見える。
「アール座読書館」「ネルケン」の近くと言えば、喫茶好きには伝わるだろう。

恐らく魚を捕っている川は暗渠になってしまっている桃園川だ。
妖怪グッズ専門の「大怪店」があるエトワール通り商店街の裏手を流れている。
相互の距離はだいたい150m程。
今は建物に遮られて川から寺を眺める事は出来ない。

長仙寺 2024年1月撮影


今はなき杉並の原風景を伝えてくれる情緒溢れる一文だ。
風土記を読んでいるとこのような妖(あやかし)にまつわる文章が散見出来る。

しかし、このような話を知っている人は僕の周りには居ない。
親の世代や祖父母の世代ですら実際に見聞きしたことがないという。
おそらく戦争の時代を大きく通り過ぎて、大正時代に幼少期を過ごした人まで遡らなければ知らないのかもしれない。

たった100年で僕らの前から消えてしまった、杉並の妖。
科学が発展した現代社会ではしょうがない事なのだろう。

しかれど、そんな世界は本当に面白いのだろうか。
なんでもかんでも理屈で説明しようとするのは風情がなくて窮屈だ。

理屈で説明不可能な「何か」の許容は社会を豊かにしてくれると僕は思う。
少なくともコントロール不可な災難を妖のせいにする事はとても合理的だろう。

そんなユーモア溢れる日常を目指して、まずは本記事で「杉並の妖」を作ってみたいと思う。

杉並区歴史探訪より 1919年頃の⻑仙寺付近

妖(あやかし)とは

そもそも妖(あやかし)とは何なのだろうか。
妖怪や幽霊とは違うのだろうか。
化け物や物の怪も含まれるのだろうか。

そんな事を思った方は多いかもしれない。
僕も気になったので調べてみたが、どうやらハッキリとした定義は無さそうである。
というより、ちゃんと理解出来なかったという方が正しい。

ちなみに下記のようなニュアンスの事がいくつかの妖怪本に書かれていた。
適当に書いているので、読み飛ばして頂いて全然構わない。

  • 科学では説明のつかない現象を起こす中で、祀られているのが神でそれ以外が化け物。
  • 神が零落したものが妖怪。
  • 死の延⻑線上にあるのが幽霊で、死の延⻑線上にないのが妖怪。
  • 決まった⼈に出るのが幽霊で、決まった場所に出るのが妖怪。
  • 同じモノでも誕⽣の⽂脈次第で妖怪にも幽霊にもなる。

おそらく学者達の調査方法によって微妙にズレが出てくるのだろう。
喫茶店とカフェの違いを明確に定義付けするよりも大変そうである。
難しい事は学者にお任せして、ここからは「超自然現象を引き起こす」妖怪や幽霊の総称として「妖(あやかし)」を使いたいと思う。

では杉並区内ではどのような場所に、妖が出現していたのだろうか。

杉並の妖がいづる所

1910年頃、大宮八幡宮の参道付近に高さ六尺の「大入道」がよく出たらしい。
辻や石橋に出没する大入道にはいくつか種類があり、大半は狸の仕業と言われている。

大宮の村人が近くに生息していた狸を撃って以来、大入道が出没しなくなった事から恐らく狸の仕業だったのだろう。
ちなみに六尺とは180センチ程度。大正時代の男性平均身長は160センチ。
ちょっと大柄なおじさんを当時の人は怖がっていた。

⼤宮⼋幡宮参道前 2023年11⽉撮影

そこから30メートル下った場所には、善福寺川にかかる宮下橋がある。
1917年頃に狐につままれた村人が、宮下橋付近で帰り道が分からなくなり途方に暮れていた所を他の村人に発見されたらしい。

宮下橋 2023年11月撮影

他にも大宮八幡宮あたりには妖談が存在する。
恐らく昔から地域一帯が畏怖の対象となっていたのだろう。

時は1800年頃(不詳)の江戸時代末期。旧大宮寺の宝篋印塔が化けて人々を驚かせたらしい。
旅人が切りつけた刀傷が塔に残っていると風土記に記載されていたが、風化し過ぎてどれだか分からなかった。

⼤宮⼋幡宮への国府道⼊⼝に⼈⽬を憚りながらコッソリと建っている。

宝篋印塔(左)2023年11⽉撮影

ここらは暗くなると今でも雰囲気があり、僕自身も付近でかなり大きな蛇や狸を見た事がある。
100年前の写真と見比べれば綺麗に舗装されているが、当時を追体験出来る貴重な場所だろう。

そもそも妖が出る場所にはいくつかの傾向があるらしい。

  1. ⼭や海、川などの⼈⾥に隣接する⾃然界
  2. 峠や辻、橋などの道中
  3. 神社や⼤屋敷、墓場


上記に共通するのは「境目」で、当時は現世と常世の境が曖昧になる場所である。
加えて日中と日没の狭間になる夕方や明け方も「逢魔時」として恐れられていた。

しかしながら今の杉並は所狭しと住宅が乱立している。
このような環境ではなかなか境目を見つける事は困難だ。
では何を手がかりに妖達の出現場所を見つければ良いのだろうか。

杉並の地形について

杉並区が現在のような住宅地となったのは、ここ100年程だ。
鉄道の誕生と関東大震災を契機に人口が急増したが、それまでは緑豊な農村地帯だった。
つまり大正時代以前の杉並の地形を観察する事によって、妖達の出現場所を見つけられるはずだろう。

すぎなみ学倶楽部より 井の頭線富士見ヶ丘駅付近


では具体的に杉並区とはどのような土地だったのだろうか。
まずは下の写真を見てみよう。

青線は馴染みのある善福寺川や妙正寺川などの大きな河川。
緑線は現在暗渠となってしまった小さな河川や用水路だ。
かつては区内を縦横無尽に水が流れていたことが確認出来る。

杉並地内⽔路網より 杉並区内の河川と暗渠


では何故ここまで河川が多かったのだろうか。
次に下の写真を見て頂きたい。

杉並区は青梅を起点として、多摩川と入間川に挟まれた巨大な扇状地の下流に位置している事が分かる。
地図を90度回転させて青梅を頂点にして見てみるとより分かりやすい。

扇状地は水捌けが良いため、扇頂や扇央に降った雨は一度地下水となり扇端で湧水する。
つまり杉並以西で降った雨が杉並の至る場所で湧水していたのだろう。
枯渇してしまったが、中央線沿いにもいくつかの弁天池が今でも確認出来る。

杉並研究会資料より 武蔵野台地の河川


次に下の写真を見てみる。
杉並は首都から近い場所にあったためいくつかの街道が区内を横切っている。
そのため年貢を収めるための農道が無数に張り巡らされていた。

また堀之内の寺町を筆頭に寺社仏閣が多数確認出来る。
つまり整備された参詣道が多かった可能性が高い。

すぎなみ学倶楽部より 1926年の杉並


上記の事を踏まえると、ここからいくつかの事が考えられる。

  1. 川や⽤⽔路、池などの⽔辺が多く存在していた。
  2. 川が形成した「坂」が多く存在した。
  3. 農道や参詣道が交差する「辻」が多く存在した。
  4. 川と道が交差する「橋」が多く存在していた。

つまり妖が出現する条件はしっかりと満たされている事が分かる。
では過去にどのような妖談が杉並区には存在していたのだろうか。

実際にあった杉並区の妖談

ここまでは「妖」と「杉並」についてそれぞれ考えてきた。
では、ここからは郷⼟史を元に実際にあった杉並の妖を⾒ていこう。

⽔辺の妖

⽚⽬の⿂の池

上⾼井⼾⼀丁⽬にはかつて⼤きな池が存在した。
薬師寺の側の池に願掛けをしながら川⿂を放すと、⼈の⽬が良くなる代償として⿂の⽚⽬が潰れていたらしい。
⼤正時代以前には⼈々の信仰を集めた池だが、現在は完全に埋め⽴てられてしまった。

杉並⾵⼟記下巻より ⽚⽬の⿂の池

さんぜん釜の蛇

かつて⾼井⼾東⼀丁⽬の⼤きな泉に蛇が住んでいたらしい。
悪戯をしてきた村⼈を⼀飲みにしようとしたが、逆に村⼈が持っている鎌で真っ⼆つにされてしまった。
それ以来⽔量は減り、村⼈も⾼熱で死んでしまったという。
1940年頃までは泉が存在していたが、今は弁天祠が郵政グラウンドの隅にヒッソリと佇んでいるだけだ。

郵政グラウンドの弁天祠 2023年11⽉撮影

酒の湧く貴船神社の池

井の頭線永福町駅からすぐの場所に「和泉」と呼ばれる地域がある。
その由来は貴船神社の境内に存在した⽔量豊かな泉があったためだ。

枯れることのない泉からは酒の⾹りがしていたと伝えられている。
しかし、池辺の草藪に住んでいた⼩蛇を切り殺してしまって以来、泉からは酒の⾹りが消えてしまったという。
かつての名泉も周辺の宅地化により空堀となってしまった。

貴船神社と空堀 2023年11⽉撮影

阿佐ヶ⾕のたたり⽯

かつて天沼弁天池を⽔源にして、杉並区内を桃園川が流れていた。
その川辺に乗ると祟られると⾔われてきた、⼤きな岩がある。
場所は阿佐ヶ⾕北五丁⽬付近。
河北病院や⽟乃湯の側といえば分かる⽅も多いだろう。

実はこのたたり⽯がかつて祀られていた場所が⾮常に⾯⽩い。
道が五叉路になっており、更に辻全体が急坂になっているのである。
ここの側を桃園川が流れており、妖談が⾮常に発⽣しやすい場所なのだ。

現在ではたたり⽯も神明宮に移されているため、この話を知っている⽅も少ないだろう。

杉並⾵⼟記中巻より タタリ⽯

辻や坂の妖

光輪を纏う⽩狐

天沼⼋幡から天沼熊野神社までの道中に光輪を纏った⽩狐を⽬撃した⼈が居た。
1920年秋の夜だったという。

悪さをするわけではなかったが気にかかっていたため、村⺠と相談した結果、熊野神社の摂社として祀られる事となった。
現在は⽩⽟稲荷神社として⽴派な⿃居も設けられている。

天沼2丁⽬の道中 2023年11⽉撮影

⽩⽟稲荷神社 2023年11⽉撮影

薬罐坂

杉並区HPにも掲載されている。
区内では唯⼀妖談から名前がついている場所だろう。

場所は上荻三丁⽬。
現在は善福寺川に向かって緩やかに下っていく⼆⾞線の道路となっている。

区画整理前は草⽊が茂る急坂だったらしく、狐や狸が薬⽸に化けて出るという伝説が残っていた。
現在の形になった50年程前でも地域の⼦供達は怖がっていたらしい。

ちなみに薬罐坂という名称の坂は都内に4箇所ある。
坂の⼟の⾊が薬罐⾊(⾚銅)だった事や、野⼲(狐に似た化け物)が出る事からやかん坂という名称になった等、微妙に由縁が違ったりする。

⼋丁側から⾒た薬罐坂 2023年11⽉撮影

神社の妖

荻窪⼋幡神社の⽩蛇

「⼤正の初め頃、(中略)⼦供が、神社の境内で⾯⽩半分に⽩蛇を殺し、その⼣⽅⾏⽅不明になりました。」
これは杉並歴史探訪からの抜粋である。

その後村⼈総出で探したところ、善福寺川で1km下流の近衛邸付近で⽔死体として⾒つかり、⼤きな蛇が仏様の傍から逃げていった事から⽩蛇の祟りと噂が⽴ったそうだ。
実際に亡くなった⼦供の親の実名が出ており、実話である可能性がとても⾼い。

荻窪⼋幡神社境内 2023年11⽉撮影

⻑⿓寺の⾖腐地蔵

⻑⿓寺の境内にひっそりと佇むお地蔵さんには不思議な話がある。

「まだ市ヶ⾕に寺があった頃、⼣暮れになると坊さんがよくお店に⾖腐を買いにきた。
しかしお坊さんに渡された銭は少し経つといつも⽊の葉になってしまう。
怒った⾖腐屋の訴えを聞いた寺社奉⾏が、後⽇成敗の為に坊さんに切りかかると、坊さんはパッと消え⾎のついた⽯⽚だけが残った。
道に残った⾎の跡を辿って⾏くと、右⽿の⽋けたお地蔵様に⾏き着いた。」

この話は当時噂になり、⾖腐好きのお地蔵様として江⼾中の⾖腐屋さんがお詣りに来たらしい。
江⼾時代に流⾏った妖である「⾖腐⼩僧」と属性が似ており、何らかの繋がりがあるかもしれない。

杉並歴史探訪より ⾖腐地蔵

墓の妖

松の⽊の⼤塚

梅⾥2丁⽬には、かつて江⼾より以前の古墳が存在していた。
宅地化される以前は塚に狐の住処となっていたという。

1913年頃には成⽥や⽥端地域のお年寄り達が、狐に憑かれた事を理由に油揚げをお供えしていた。
あたり⼀帯を散策したが、それらしき痕跡を発⾒する事は出来なかった。

松ノ⽊の⼤塚付近 2023年11⽉撮影

ぜに塚・かね塚

南荻窪1丁⽬にはかつて2つの塚が存在していた。
⾦銀財宝が埋まっていると⾔われた場所も現在ではマンションが建っている。

1961年には、ぜに塚跡地に建っていた公団の社宅に坊主姿の⼈影が出ていたらしい。
⼊居希望者が減少したため、建物は取り壊されしばらく放置されていた。

杉並⾵⼟記上巻より かね塚跡地

⼈の怪談:⽥中稲荷神社の⼀本松

妖談ではないが区内には「丑の刻参り」の話も実在している。
場所は⾼円寺南の⽥中稲荷神社。

これは⼈を呪うための儀式であるが、詳しくはご⾃⾝で調べて頂きたい。
⼤正以前は境内の⼀本松に⼤きな釘が何本も打ち込まれていたらしい。

丑の刻参りが⾏われていた⽥中稲荷 2023年11⽉撮影

上記の妖談を観察していると、今でも伝わっている妖談には下記の特徴がある。

  1. ケモノや地蔵などの「キャラクター(姿形のあるモノ)」が出てくる事。
  2. 出現場所が⽔や坂などの王道条件に当てはまっている事。
  3. 具体的な地域の名称が出てくる事。


妖談を想造するにはこのフォーマットに即して書いた⽅が説得⼒が出るはずだろう。
さて、ここまで⻑々と書いてきた記事もそろそろ終わりが近づいてきた。

最後に、今回の⽬的である「杉並の妖」を想造して締めたいと思う。
ご静聴ありがとうございました。

天沼百⻤夜⾏

天沼陸橋の頂上から街道を眺める。
橙⾊の街灯にあてられたアスファルトは妙に艶かしい。

時刻は夜中の3時をまわったところだ。
今⽇は熱帯夜にも関わらず少し涼しく感じる。
おそらく他と⽐べて少し⾼い場所にあるため、⾵が通りやすいのだろう。

橋の下には線路が通っている。
昔はここに橋は無かったと死んだ曽祖⽗が⾔っていた。

それ以前は中央線と⻘梅街道が地上で交差しており、物凄く不便な開かずの踏切があったらしい。
これは後から図書館で知った。

少し背伸びをすると、荻窪駅から橋の下を抜けて阿佐ヶ⾕⽅⾯に向かう線路の先にスカイツリーが⾒える。
真っ直ぐ伸びる線路の先にツリーの位置が重なっているため、魔界か何かに導かれているようだ。

やはり酔っ払っていると変な妄想が捗るらしい。
アラサーにもなって週の半ばから泥酔する⾃分に笑えてしまう。
今⽇もカウンターで隣の席の⼈に散々愚痴った挙句、泣きながら説教をしてしまった。

あといくつ年を重ねれば私は悩みから解放されて穏やかに⽣きていけるのだろうか。
⻑く吐いたため息は誰もいない夜道に吸い込まれていった。

煌々と光るツリーにさよならを告げて南阿佐ヶ⾕の⾃宅に帰ろうと振り向いた瞬間、体が固まった。
向こうから⾞道の真ん中を⼈が歩いて来るのだ。
しかも1⼈や2⼈ではない。
⿊い影が塊となってこちらへ向かってくる。
後ろに伸びる列の⻑さは悠に100メートルを超えるのでは無いだろうか。

近づくに連れてお囃⼦の⾳が⼤きくなる。
重なって聞こえるのは⾺のいななく声だろうか。
息を深く吸い込んで、⾼円寺阿波踊りの予⾏演習だと⾃分に⾔い聞かせてみるが、やはり明らかに様⼦がおかしい。

あまりの異常さに動けずに居ると、いよいよ⼀団が近づいて来る。
酒と⼤量に流れる汗で潤んだ瞳を必死に擦りながら⽬をこらすと腰が抜けた。
街灯の明かりに照らされたモノ達は明らかに⼈では無いのだ。

⼩さな体に対してあまりにも⼤き過ぎる頭を持つ者。
⾺なのか⽜なのか⼈なのか分からぬ異形。
美しい⽴ち姿にも関わらず、この世の者とは思えぬ形相でこちらを⾒つめる⼥。

⾔葉では表せないモノ達がゆっくりと⾃分の⽬の前を歩いていく。
あまりの恐怖に今までの⼈⽣が⾛⾺灯のように駆け巡った。

何をどこで間違えたのだろうか。
全てを他⼈や社会のせいにして逃げてきたツケが回ってきたのだろうか。
ひさかたぶりにちゃんと⽣きたいと思った。

しかし列の中から声が聞こえる。
「あの⼈間、私達のことが⾒えているね」
⼼臓がグンと跳ね、思わず⽬を瞑った。

ジュルリと⾆なめずりをする⾳が⽬の前を通り過ぎる。
「⾒られたならば致し⽅ない、取って⾷ってやろうか」
滝のようにかいていた汗がピタッと⽌まった。

もはやここまでなのかもしれない。
⽗と⺟と初恋の⼈の顔が浮かんだ。
あの頃にちゃんと告⽩をしておけば良かったと涙が頬を伝う。

いよいよ死を覚悟した時、翁の⾯を被った⼩⼈が列から外れてヒョコヒョコと近付いてきた。
両の⼿の平にスッポリと収まる⼤きさだ。

思わず上半⾝だけ仰け反ると翁が笑いながら語りかけてきた。
「まあ、そう怯えなさんな」

唐突な⾔葉に喉がつまり声を出せずに居る⾃分に翁は続ける。
「別にあのモノ達も本気で⾔っている訳ではない。疲れてイライラしているだけじゃ」

穏やかな雰囲気に殺意は無いのだと胸を撫で下ろす。
聞く所によると⼀⾏は丸の内から⻘梅の⼭に帰っている最中らしい。
江⼾時代から続く恒例⾏事だが、あまりにも⻑い旅路で疲れている上にここ最近では陸橋を登らなくてはいけない事に辟易しているのだそうだ。

「線路が無い時代はとても楽じゃった」と戻り際の翁からため息が溢れる。
その哀愁漂う様⼦に何故かシンパシーを感じた。
いつの間にか先頭は陸橋を降り終えて駅の向こうまで進んでいる。

「何百年⽣きても悩みは尽きないのか」
思わず⼝から溢れた⾔葉は、少し明るくなった東の空に消えていった。



すぎなみ学倶楽部より 天沼陸橋(昭和26年撮影)







ライター・プロフィール

山城隆輝

喫茶店店主。
1994年生まれ、荻窪出身。
100年続くお店を作ることを目指しています。

Twitter
https://twitter.com/nostalgiakenkyu

Instagram
https://www.instagram.com/kissa_tenmonzukan/

Note
https://note.com/tennmonn/