【高円寺、若者たち #4】どうしようもなく、未来は来る。見えない未来で生まれた、ひとりのCGアニメーター【ぽしおか星人】

高円寺

ツブサをご覧のみなさんおはようございます、ライター・ピアニストの伊藤夏希です。

高円寺に関わる“若者”にフィーチャーし、その人の生き方や考え、高円寺にまつわるエピソードを深掘りしていく連載「高円寺、若者たち」。 

今回紹介するのは、「チキップダンサーズ」や「とむとじぇりー」などの作品に携わるCGアニメーター「ぽしおか星人」さんです。

実は筆者と同じ高校出身である、ぽしおか星人さん。

お互いに武蔵野音楽大学、武蔵野美術大学へと進学した芸術仲間としてはもちろん、休日はよく高円寺で遊ぶ仲の良い友達でもあります。

今回は、そんなぽしおか星人さんが歩んできた過去や、筆者との出会い、そしてコロナ禍で見えなくなった未来で見つけた自分なりの生き方について深堀していきます。

気づけば絵を描くことに夢中になっていた

私に絵を描くきっかけを与えてくれたのは、小学1年生の頃、クラスで一番絵を描くのが上手だった“かおり”です。

かおりが落書き帳に描いた絵を見たクラスメイトの女の子たちが、「私これになりたい!」と指をさしていたのを今でも覚えています。

そんなかおりとずっと一緒にいたので、休み時間になるたびに私も絵を描くようになり、気づけばかおりと同じくらいクラスの中でも“絵を描ける”人間に。

それから私はクラスの中で「ハッピー新聞」というのを作るようになったんです。真っ白な紙に4コマ漫画を描いたり、クラスメイトにインタビューをしたり、クラス内のランキングを作ったり。そうして作られた「ハッピー新聞」は、先生がいつも印刷してクラスのみんなに配ってくれて、それがすごく嬉しくて、ますます絵にのめり込むようになりました。

授業そっちのけで、なんなら教科書やノートも出さずに絵を描いていたものだから、先生からブちぎれられる…なんてこともありましたが、それくらい小学生の頃から絵を描くことに夢中になっていましたね。

私にとって逃げ場のようなものだった

勉強よりも絵を描くのが好きだったのですが、小学校を卒業してからは中高一貫の私立中学に進学を決めます。

理由はなんとなく、「中学受験をする!」と言えば、親から褒められそうだなと思って…(笑)

しかしいざ進学してみると、進学校ということもあり、とにかく勉強しなきゃいけなくて。

勉強第一の中学時代だったので、小学生の頃に比べて「私の絵は大事にされないんだ」と感じることも多く、クラスにも上手く馴染めていませんでした。

また中学生の頃から行きたい大学を決めなくてはならず、そこで私は美大に行くことを決意します。

クラスの中でも勉強ができる方ではなかったから、“絵を描くしかない”と思って。

そして中学2、3年生頃から美術部に通うように。美術部はなんとなく学校に馴染めない人とか、学校が得意ではない人が多くて、私にとってもある意味“逃げ場”のような空間でしたね。

新たな風を起こしてくれた“夏希”の存在

正直、中学校が終わるときに、「このまま同じ高校に進学してもいいのだろうか」と考えていました。だって、芸術をしたい人間は自分だけで、だけど他のみんなはしっかり勉強に励んでいて、中学3年間、私だけ学校の中で浮いている存在のように感じていたので…

そんな思いを抱いたまま同じ私立高校に進学して、そして出会ったのが“夏希”(筆者)。中学3年間、1学年40人しかいない閉鎖的だった中学時代では想像できないような、今まで出会ったことのない特殊な空気を持った人種だったんです。

夏希は音楽科だったこともあり、集会で校歌のピアノ伴奏を弾いていたり、ライブハウスでバンドをしていたり、文化祭や学内の演奏会では歌ったりピアノを弾いていたり。何かと校内で目立っていて、とにかく芸術肌であることがビンビンに伝わってきて、夏希と出会ったことで、私もより美術に打ち込めるようになりました。

あなたとは同じクリエイターとして対等に話せるんだ

美大に行くと決めたものの、私は予備校にさえ通えない小さな田舎である宮崎に住んでいたし、実力じゃ周りには到底敵わないと思って、高校時代はいろんなコンクールを果敢にチャレンジしましたね。

私は1位をとることはできないけれど2位をとることはできたので、とにかくたくさんコンクールで賞をとることで、学校の先生にも私が絵を描くことを認めさせたくて。

そんなこんなで賞はたくさんとったものの、入試では賞をアピールするよりも私の意欲を見てもらいたく、毎年武蔵野美術大学のオープンスクールに行っては、朝から晩まで教授のところに行ってたくさん話をしました。

オープンスクールに来る人たちは、とんでもない画力の作品集をきっちりとした本に仕立てたポートフォリオを持ち歩いて教授陣に売り込んでいたのですが、私なんかはクリアファイルにいれた薄いポートフォリオで…

そんなレベルの高い人たちを見た私は「やばい、こんなの絶対落ちるじゃん」と思って心が折れかけていたんですが、そんな中ずっと話を聞いてくれていたのが、映像学科の教授でした。16時にオープンスクールが終わるのに、「それじゃあ足りないから」と、19時頃まで私の話に付き合ってくれたんです。

私の作品は周りと比べるとレベルが低かったかもしれませんが、それでも意欲だけは人一倍あって。

その教授は「ぽしおかさんのそんなところが素敵だよ、あなたは同じクリエイターとして対等に話せるんだよね」と言ってくれたんです。

そしてそんな私の意欲が受け入れてもらえて、武蔵野美術大学にも無事合格することになります。

あなたの100%じゃなくて、そのグループのメンバーでできる100%を目指しなさい

短編アニメ 「纏神 ~matoigami~」(2019年・武蔵野美術大学時代)
グループ制作。監督・演出・企画を担当。

大学生活はとにかくもまれましたね…特にグループワークが大変でした。高校生までは美術をしているのは私だけだったから、ある意味一匹狼というか、自分が描きたい絵を好きなように描いて。

でも美大はそうじゃなかったんです。とにかく私よりもうまい人しかいなくて…

でも私って熱量だけは人一倍あるから、やる気満々でグループワークに参加するものの、「あれ私が火種になってるんじゃないのかな」と、どのグループワークでも何かしら問題が起こってしまって。

そこで悩んでいることを先生に相談したら「あなたの100%じゃなくて、そのグループのメンバーでできる100%を目指しなさい」と言われたんです。それからは何事もマイルドに考えられるようになりましたね。

どうしようもなく、未来は来る。

【オリジナルアニメ】どうしようもなく、未来は来る。(2021年・武蔵野美術大学時代)
個人制作。制作・作曲を担当。

大学3年生の終わり頃にコロナが始まり、それから将来が全く見えなくなりました。

大学生までは、自分の表現や純粋さ、熱量が許されていたけど、社会となると全然違うわけで。

人に受け入れてもらえるようなことをしないとお金はいただけないし、自分が社会人としての考えを持てるのか不安で、自分が働いている姿が全く想像できず、結局卒業するまで、なんなら卒業しても未来が何もわからなかった。

あの頃はコロナが始まって、とにかく自分含めみんな将来がわからなくて不安だったと思うんです。

だけどここで宮崎に帰ると自分は埋もれてしまう、東京にいないと自分のこれまでが無駄になるような、そんな気がして、そこで父の知り合いが経営しているデザイン事務所で働くことになります。

でもそこは、あくまで私に居場所を用意してくれた場所にすぎず、私がいなくても会社として成立していたので、「うちは正直任せられる仕事はないから、勉強でもしといて」と言われ続けて…

大学を卒業して仕事をバリバリ頑張りたいって熱量はあったのに、仕事がもらえない。やる気を見せるたびに、すごく困った表情をされていました。

そこでとにかく何とか働いてお金を稼がなきゃと思って、大学時代にお世話になった先生に紹介された「アートバー」という所で、絵画教室の講師をしました。

好きなお菓子やお酒を飲みながら自由に絵を描いて、人前に出るようなことも好きだったから、どうすればお客様に楽しんでもらえるのか考えるのも楽しくて。生活は苦しかったけどあの時はアートバーが私の心の支えになっていました。

そして今働いているアニメーション制作会社も、偶然入れた会社なんです。代表が私のツイートした卒業制作の作品に引用リツイートで感想をくれた方で。

そんな代表の会社が当時声優を募集しているってことで、私、声優で応募したんですよ。

そしたら「え、なんでぽしおかさんがアニメ制作じゃなくて声優で応募してんの⁉」ってなって(笑)

代表が私に興味をもってくれて、「一回会社見学にでもおいで」と言われて実際に会社まで見学に行きました。

そのときに、アートバーやデザイン事務所の話をしたら、「うち今CGアニメーター募集しているからくる?」と言われて、「え!来週からいきます!」と即答して、今に至ります。

だれかの記憶の片隅に残れるような作品を

子猫の配達員うーにゃん【本編】(2022年)
グループ制作。CGアニメーターとして参加。

大学も会社も全部共通しているのが、自分がいこうと決めていた場所ではないという点。

大学では映像学科に入りましたが、それはオープンスクールで出会った教授がいたからで、私は絵本作家になりたいという夢がありましたし。アートバーを紹介してくれたのも、私がいた映像学科ではなく、基礎デザイン学科という別の学科の先生で、デザイン事務所も父の紹介で、今の会社も代表がたまたま私のツイートに反応してくれたからで。

だから未来のことは全く分からないけど、今は自分探しをしようと考えています。

やっぱり私は自分の世界観を活かしながら何かを作っていきたいので、アニメを作れるというのは武器なんですよね。

今は業界的にもアニメは求められているし、需要もあるし、世間にも受け入れられやすい表現方法のひとつだと感じていて。縦画面の映像も特殊ではありますが、まだまだ魅せられる可能性を感じるし。

だから今使っているソフトを駆使しながら、自分の世界観を魅せていきたい。

とびきりスーパー売れっ子作家にならなくていいから、「なんか見たことあるな~なんか聞いたことあるな~」って、だれかの記憶の片隅に残れるような作品を作られれば、それでいいなと思っています。

「ぽしおか星人」プロフィール

ぽしおか星人

アニメーター。武蔵野美術大学 映像学科を卒業し、現在スタジオななほしCGアニメーターとして活躍する一方、個人でキャラクターデザイナーとしても活躍中。

「もし~だったら」と妄想を広げて面白く未来を考えることが得意。ちょっぴり笑える、優しくて心がじんわりあたたかくなる作品や、愉快で仲の良いわるものキャラが大好き。

学生時代に制作したアニメ「どうしようもなく、未来はくる。」をyoutubeにて公開中。ななほしオリジナルアニメ「子猫の配達員うーにゃん」の他、携わった作品は「チキップダンサーズ」「それしかないわけないでしょう」「映画ざんねんないきもの辞典」「とむとじぇりー」など。

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ライタープロフィール

伊藤夏希 

1998年生まれ。宮崎県出身、高円寺在住。 
武蔵野音楽大学演奏学科を卒業後、サラリーマン・ライター・カメラマン・ピアニスト・ピアノ講師・YouTuber・アートユニット「お通し」として活動中。

3月25日 ピアノ&サックスコンサート『設定温度』
9月17日 ピアノソロコンサート『長月、思い出にするには勿体ない』を開催予定。 

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