【高円寺、若者たち #1】器用貧乏だからこそ、大勢のたったひとりに寄り添える。【伊藤夏希】

伊藤夏希

ツブサをご覧のみなさんおはようございます、伊藤夏希と申します。 

高円寺に関わる“10~20代の人”にフィーチャーし、その人の生き方や考え、高円寺にまつわるエピソードを深掘りしていく連載「高円寺、若者たち」。 

題名の「若者たち」は、編集長のシゲタさんと相談し、ロックバンド銀杏BOYZの曲名から拝借いたしました。
銀杏BOYZの峯田さんは高円寺を題材にした曲が多く、僕が現在24歳なのもあり、高円寺にまつわる若者にフォーカスを当てて紹介し、街を浮き彫りにしてみたいと思いました。

今回は記念すべき、第一回目です。

まずは、僕の自己紹介を含め「伊藤夏希」を取り上げます。 

宮崎県出身24歳、高円寺に住み始めて3年目になる僕ですが、現在は広報関係の会社員をしつつ、フリーライター・ピアニスト・YouTuberとしても活動しています。

(なんだかカオスな経歴ですよね、僕もそう思います。)

大学時代は音楽大学に通っていたこともありピアノをずっと弾いていたのですが、大学を卒業してからは制作会社でライターやエディターとして仕事をしていたり、カメラマンとして記事の写真を撮影したりも。

いろんなことに手を出していますが、僕、すごく器用ですこし不器用な、いわゆる「器用貧乏」なんです。 

そんな僕を作り上げた高円寺の街と器用貧乏さについて語っていきます。 

ハタチの頃、なにしてた?

18歳で上京したはじめての東京生活。練馬区の小さな江古田の街は、あまりにも窮屈で、あまりにも息がしづらかったのを今でも鮮明に覚えています。 

音大受験に合格してから上京するまで、キラキラした東京生活を描いていた僕。 

「大学でたくさん友達を作って、たくさん音楽をして、音楽の道で生きていくんだ!」と、期待に胸を膨らませながら上京したものの、現実はそう甘いものではありませんでした。 

『何喋ってんのか本当にわかんないんだけど。』 

入学初日に言われたこの言葉は、今でも心に残っています。 

宮崎生まれ宮崎育ち、生粋の宮崎人だった僕にとって東京の空気は全く合わず、はじめの頃はとにかく“標準語”なんて概念を作った人間を恨みました。「お前のせいで地方出身の人間は苦労しちょるとぞ!」と。 
言葉の壁はもちろん、歩く速さや人を見る目、人に対する考え方、全てが僕の思考とかけ離れていて、「もしかして東京なんて来る場所じゃなかったのかな」と何度も何度も考えるように。 

『あの子、あの先生の生徒だから評価されているんだよ。』 
『あの子、なんで大学の奨学金貰えているんだろうね。』
『あの子、そんなに演奏上手じゃなくない?』 

周りから聞こえる声は、キラキラどころか嫉妬であふれる声ばかり。

いつしか僕も周りから嫌われないよう表面上での関わりで生きるようになり、宮崎弁なんて元から喋ったことがないかのような口調で人と接するように。 

「あ、これが東京に染まるということなのか、こうして僕は冷たい大人になっていくんだ。」そう感じながらハタチを迎えます。 

高円寺との出会い

授業が終わりその日もひとり新桜台駅まで歩いていると、ふと駅の近くにやってきたバスの行き先に目が留まります。 

『赤31・高円寺駅北口行』 

「高円寺…名前は聞いたことはあるけど、そういえば行ったことないよなぁ。」その日は本屋さんのバイトの面接が入っていたものの、そんなことより“高円寺”という場所が気になってしまい、気がつくとバスの後方座席に座っていました。 

環七通りを真っ直ぐ走るバスの窓から見える景色は、とても東京らしくない背の低いビルと住宅街だらけ。

『中野北郵便局』『野方駅入口』『座高円寺前…』冷たい声で案内するバスの運転手。「あ、そういえば。」ぼーっと外を眺めていた僕がバイトの面接を思い出した瞬間『次は終点、高円寺駅北口』と、冷たい声と共にバスがゆったりと高円寺駅で止まりました。 

「まぁ、いっか、いうて面接だし。」 

正直、初めて高円寺に来た日のことはあまり覚えていません、というか全く覚えていません。
ですが、上京してからそれまでぼんやりとしか歩けなかった僕が、しっかりと地に足をつけて歩けたというか、背筋を伸ばす必要も周囲に気を使うこともせず、ただただ何も考えず東京の街を歩ける安心感を持っていたことは覚えています。

今思うと、その日から僕の楽観的でちょっぴりドライな性格が形成されてきたのかもしれません。 

はじめて食べた「あげもんや」の味が忘れられなくて

高円寺に出会ってからは週2ペースほど、授業終わりに通っていました。

初めて食べた高円寺のごはんは、「あげもんや」の唐揚げ6個定食。ひとつひとつのボリュームが凄まじいのに、衣が薄く油っこさもないので、胃もたれすることなくパクパクと食べられるんです。 

「…!(こんな旨い唐揚げ初めて食べた…!最高かよあげもんや、最高かよ高円寺!最高~~!!)」 

それから「タブチ」「ニューバーグ」「焼き貝あぶさん」などなど、毎週、高円寺の飲食店にひとりで足を運ぶように。 

高円寺の飲食店の雰囲気、僕すごく好きで、すごく憧れだったんです。誰にも有無を言わせない力強さを感じさせる店員さんたちと、とてもじゃないけど「インスタ映え」するような外装や内装ではないのに、味や値段でお客さんを魅了しているあの感じ。 

ひとりでお店に行っても、どれだけ髪がボサボサでお店に行っても、誰も何も気にせず自分たちの世界で生きているあの感じ! 

上京してからというもの誰かの言葉や目を気にしていた僕にとって、高円寺は無機質なのに暖かさが感じられるような、僕を受け入れてくれるような感覚がして、居心地が良かったんです。 

「なんでこんなに人の目を気にしてたんだろ、せっかく東京に来たんだし、僕も僕がやりたいことをやろう。」

君は君らしく生きていく理由があるんだ

「続いてのナンバーは、欅坂46のサイレントマジョリティーです!」 

暗転していたステージにスポットライトが当たり、観客の視線が一斉に僕に集まる。力強いイントロが流れた瞬間、僕は右手の拳を胸の前でぎゅっと握り、20人いるメンバーの最前列で踊るセンターであることを改めて実感しました。 

動画です


「君は君らしく生きていく理由があるんだ、大人たちに支配されるな。初めからそう諦めてしまったら僕らは何のために生まれたのか?」 

スポットライトがセンターに向けられ、僕はそのフレーズを口にします。 

高円寺に出会ってからというもの、それまで閉鎖的だった僕の生活は一変。 

女子しかいないダンスサークルに、ダンス未経験なのにいきなり加入しセンターで踊ったり、YouTubeチャンネルの登録者数が2000人を超えたり、いろんな人と音楽を通してコミュニケーションがとれるようになったり。

自分を受け入れてくれる友達にも恵まれ、大好きな音楽にも打ち込めて、上京して、音大に入れて、本当によかったと、心の底からそう思いました。

「うちで踊ろう」ってなんやねん

「お世話になります、伊藤夏希です。本日は面接のお時間をいただき誠にありがとうございます。あ、こちらの音声聞こえておりますでしょうか?」 

大学4年生、世界がこんな感じになってから、僕の生活はまた一変しました。 

まるで、“音楽なんてやってはいけない”と言われているかのように、予定していたコンサートや伴奏のお仕事、ピアノのレッスンは全て無くなり、僕はひとり、小さな1Kの家でパソコンに向かって面接をする日々。 

「大学生活で一番楽しいのって大学4年生じゃん!?なのに何やねんこれ、学校は全部オンラインやし、ピアノも全然弾けないし!無理すぎ!生きるの辛すぎ!みんなに会いたい!くそー!!ハイボールもう1缶買っておけばよかった!」 

友達にも家族にも会えない寂しさを埋めるかのごとく、毎晩のように行われたオンライン飲み会。 

その当時は本当に辛かったんです。テレビをつけても、毎日コロナの話題。Twitterを開いても、星野源の「うちで踊ろう~」が流れてくる日々。 

「金もあるし生活にもゆとりがあるから、うちで踊ろう~なんて呑気に歌っていられるかもしれないけど、こっちは必死なんよ。ピアノも弾けないし、将来なんて全く考えられないし、なのにもう卒業しちゃうし、俺もうちで踊れる余裕をくれ!」

夏の終わり

ある人は『友達を一気に減らした』と言っていたり、ある人は『仕事を辞めてフリーになった』と言っていたり、コロナってほんと不思議ですよね。

世界がこんな感じになってから、考え方が大きく変化する人がなんだか増えたような気もしますが…僕もコロナ禍に入った2020年、大学4年生の夏の終わりに高円寺に住むことになります。

僕の場合、何か心境の変化があったわけではなくて、「あ、もうすぐ更新月だ、引っ越そう」くらいの軽い気持ちでした。

もちろん高円寺が好きで、高円寺に引っ越すことを決めたのですが、その当時の僕は将来のことなんて何も考えておらず、コロナで止まった時間の中で、なんとなく生きて、なんとなくオンライン面接をして、なんとなくピアノを弾くような日々。

高円寺に引っ越すことで何か変化を求めていたのかもしれません。

将来どんな仕事をしたいのか、いったい何のために、誰のために音楽をするのか、そんなことを考えながら冬を迎えます。

大学生活最後の演奏

僕にとっての音楽の在り方が完全に変わったのは、大学4年生最後の卒業試験の日。 

演奏したのはフランツ・リストの「ダンテを読んで-ソナタ風幻想曲」という1曲。18分程の大曲で、いかにも“音大生”らしい、誰からも評価されるような曲です。

今の僕だったら絶対に弾かないような激しい曲なのですが、当時の僕は、結局僕自身のためにピアノを弾くことができなかったんです。

「音大生最後の演奏なんだから、これまで指導してくれた先生や、親のためにも良い成績を残したい。」そう思いながら練習する日々。

昔から緊張しいで、本番になると体が硬直したり手の震えが止まらなくなったり、曲の世界やその曲の主人公を考えると、心が落ち着かなくなって眠れなくなる、なんて日も多くありました。 

「それだけ曲に対して真剣に向き合えるようになって、演奏することに対して責任感を持てるようになったってことだよ。」なんて先生は言ってくれたけど、正直体は限界で。 

そんな中迎えた大学生活最後の卒業試験。演奏中のことは正直全然覚えていません。

ただ演奏が終わり外に出ると、僕は何かに取り憑かれていたかのようにスッと体の力が抜け、膝から泣き崩れました。 

「もう1番を目指さなくていいんだ、みんなに満足してもらえるような音楽をしなくていいんだ。」とホッとした瞬間でした。

器用貧乏でも

大学を卒業してからは元々表現することが大好きだったこともあり、制作会社でメディアの記事を執筆したり、今はこうしてツブサのライターとして執筆させていただいたり、YouTubeで動画を配信したり、本を作ったり、写真を撮ったり、ピアノにも触れたりしています。

いろんなことに手を出しすぎて器用貧乏だとよく言われますが、僕は僕が器用貧乏であることに誇りをもっています。大人になると取捨選択をする日々で人間関係もお仕事も、常にどれかひとつを選ばなくてはなりませんが、僕はどれかひとつを選択することはきっとこれからも無いだろうし、どんな人にでも力添えできるような人間になりたい。 

器用貧乏であることは大勢の中で1番にはなれないけど、だれかひとりに寄り添う力にはなれると思っています。不器用さはパワーを生むし、器用さは優しさを生むからね。 

ということで、これから連載がスタートする「高円寺、若者たち」。たくさんの方に見ていただいて、これを見るだれかひとりに高円寺らしさが伝えられれば良いなと思っています。 

どんな人に出会えるか、どんな人から話を聞けるか、僕もワクワクです。 

もしかするとこれを読んでいる高円寺の誰かに、いきなり駅でお声がけするかもしれません。その際はぜひ、少し話を聞かせてくれると嬉しいなぁ。

逆に話を聞かせてくれる方がいたら、気軽にお声がけください、待ってます!

それではまた、次回の「高円寺、若者たち」でお会いしましょう。 

これからもどうぞよろしくお願いいたします。 


ライタープロフィール

伊藤夏希 

1998年生まれ。宮崎県出身、高円寺在住。 
武蔵野音楽大学演奏学科を卒業後、サラリーマン・ライター・ピアニスト・ピアノ講師・
YouTuberとして活動中。
2022年3月25日、ピアノソロコンサート「近影」を予定。 

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