高円寺の “ 庶民派 ” 女王・のうじょうコラム vol.27 ~ 生きるは重い ~

高円寺の “ 庶民派 ” 女王・のうじょうコラム vol (5) 高円寺

あなたにとって「良い暮らし」とはどのようなものですか?

”高円寺の女王”と物騒なキャッチコピーで呼ばれつつも、
超庶民派ミュージシャンのうじょうりえ
高円寺の目線で「良い暮らし」を伝えていく

高円寺の”庶民派”女王・のうじょうコラム

5月度お送りします!

ギャップ

たまに出身も高円寺ですか?と質問される。
わたしの出身は何を隠そう、千葉県千葉市稲毛区。
これだけ高円寺の女感を出しておきながら、生粋の千葉県民だったのである。
高円寺に引っ越してきたのも24歳頃、まあまあ大きくなってから。
8年足らずでここまで染まったか。

とはいえ地元の千葉も大好きで、月に1度はライブをしに行く。多いときは2、3回。
千葉に仲の良い友達がいるという高円寺の知り合いが、千葉は変わっている人が多いと言っていた。
千葉〜高円寺は近くないけど、毎週遊ぶほど好きな友達らしい。
変わっている人といえばTHE高円寺だけど、千葉と通づるものがあるのか?

ライブをしに行った流れで実家に泊まって帰ってくることもある。
ありふれた感想だけど、実家で過ごしていると親の有り難みが身に染みる。
寝ている間に服が洗濯されていたり、起きたら何も言わなくてもご飯が出てきたり。
いつも追われながら嫌々やっている家事をお願いしなくても、お金を払わなくても、見返りがなくても全てやってくれている環境に圧倒される。
この場所にずっといて慣れてしまえば廃人だろう。
甘えるな、自我を保てと己に言い聞かせる。

こんなにバランスの良い食事を普段摂っていないので体が驚く。

実家で過ごしている内にあることに気が付く。
実家に住み地元で過ごしていた昔の自分と、音楽を始め高円寺に住みだした今の自分とのギャップ。
家族と話しているとき、リビングでぼっーとしているとき、すごく小さな何とも言えない違和感があった。
それを家族にバレないように昔の自分を思い出して、変わったとかどうしたのかとか言われないように取り繕っている風な自分がいて気持ち悪くなる。
幻滅されたくなかったんだろうな。
人の評価を気にし過ぎずそこそこ我が道をいけるようになった気がしていたけど、家族は別だったみたい。

地元のことを想って作った「思入り」という曲がある。
久々に稲毛に帰ったらそんなに変わっていなくて、昔とほぼ同じ景色を見ているのに自分が感じることが違くて、こうして大人になっていくのだと思い曲にした。
変わったのはわたしの方なんだろうな、とそのときは嬉しくなっていたのに、今は不安になってしまった。
もっとちゃんとしなきゃな。
こんな事家族本人には言えないけど(コラム見てないことを願う)

生きるは重い

実家の話はまだ続く。
明るい話ではないのだけど、書く意味があると思った。
良ければ見て欲しい。

父のお姉さんが亡くなり、先日納骨に行って来た。
住んでいる所が離れていたので会う機会はかなり少なかったけど、父と似て穏やかな表情をする人だった記憶がある。
父のお姉さんなので伯母さんと呼ぶのが正しいのに1度も言ったことはなく、ずっとお姉さんだった。

家族それぞれの予定に合わせて納骨の日程を決めた。
たまたま丁度暑くなったよく晴れた日で、黒い服が日差しを集めていた。
人を弔う場にいるのは高校生ぶりだと思う。
お骨は本来は父が持つだろうけど何故かわたしが持つことになっていた。
わたしで良いのかと何回も聞いてしまったけど、お姉さんと最後お話できたのは何年も前だったので有難い気持ちもあった。
きっと重いだろうと思って構えて持ち上げたら想像の半分くらいの重さで、
わたしもいつかこのくらい小さく軽くなって土に埋まるのだと思ったら、食べ過ぎて太るだとか日々のくよくよした悩みだとかが馬鹿らしくなった。

お焼香の経験はあるけど、その度に忘れ前の人の見様見真似をしてしまう。
緊張でふと冷静になってしまい怒られないか、恥をかかないか心配をする自分に嫌気が指すが、お焼香のやり方は忘れてしまうくらい何度もないものであって欲しいとも願う。

納骨を通して、生きるっていうのは重いんだな、と思った。
食べたら体が重くなる。
傷付いたら心が重くなる。
そういえば人は死ぬと21グラム軽くなる、それは魂の重さ、みたいな話があった。
都市伝説みたいなものだろうし、医学的に言えば他のことで説明できてしまう噂だろうけど
理由が何にせよ命がなくなればこの体は軽くなってしまうんだろうな。

自分の顔は自分が1番見なくちゃいけないし、わたしは容姿に自信がないし、人前に出る仕事でもあるからなるべく綺麗になるよう努めたいけど
いつかは皆骨だけになるのだから好きな物を好きなだけ食べて過ごしたい。
ダサくても汚れても、思う存分泣いて笑って生きていたい。
せっかくならそうしたいな。

というか本来人生は格好良くないものなんだ。
仕事でミスして怒られたり、好きな人にフラれて泣いたり、外で吐いたり、トイレに行ったり、人前で転んだり、
思い返せば格好悪いことばかりじゃないか。
そもそもずっとカッコつけるなんて無理だ。
わたしは無理なこと、続かないことはしたくないな。
お姉さんを見送ったその日は、朝から夜までお腹いっぱい食べた。

好きの認識

高円寺の駅前で人を待っていた。
こんなことは珍しい。
わたしは非常に時間に良い加減で、いつも人を待たせる側。
申し訳ないとは思うし全力で謝るのだけど、おそらく時間の逆算というのが下手でどうにも直せない。
関係ないかもしれないが数学も苦手だった。
おのずと許してくれる人が側にいてくれている気もする。ごめんなさい。

その日偶然お花をもらって手に持っていて、良い匂いがしたので嗅いだらお花ではなく
隣で同じく人を待っていたであろう女の子の香水で、時間にゆとりを持って「待つ」という立場だから小さなことにも気付けるのだなと。

これから来る人のことを考える。
急かすつもりは毛頭ないけど、会いたいが前のめりなのも気分が良い。
遅刻すると反省の気持ちが先に出てしまい、会えた喜びの初動は半減してしまう。やはり時間は守ろう。
わたしは人に会わないとダメなタイプだというのはこのコラムでも散々書いてきた。
人間同士が会って話すというのは何ものにも代え難い。それでしか得られない感情や知識がある。
あとわたしは、人に会う度にこの人のこんなところが好きだと認識する感覚がとても好き。
一緒にいるふとした時に突然よぎる。
だからまた会いたくなるし好きなんだなと、幸せが増える。
そう思わせてくれる人達にも感謝しかない。

大人になっていくと人の悪いところにもよく気が付くようになってしまう。
自分がある程度出来上がって、これは好きこれは苦手と分かってくるから仕方ない。
ただそこで分岐するのが、見えている人の良いところを悪いところで覆ってしまうかどうか。
わたしは性格が悪いので、余裕がなくなるとすぐやってしまう。最悪だ。
癖になるとずっとそのままで、なりたくなかった大人になっていってしまうのだろうと怖くなる。
振り払おうとしている内はまだましかもしれない。

「人は皆生まれつき善の性質をもつ」という性善説をどこかで信じていて、誰でも良いところは必ずあると思っている。
苦手な人が現れても自分と合わないというだけで、誰かにとっては良い人なんだ。
自分だけのフィルターを外すと徐々に良いところが見えてきたりする。
好きな人の好きなところを見付けるのは容易だけど、苦手な人の好きなところを見付けるのは至難の技。
できたとき、でかした自分となる。
合わない人と話すのも自分と考えが全く違くて楽しいけど
やっぱり疲れちゃうから、好きな人と過ごす時間を最も大切にしたい。


先日シゲタさんとグッナイ小形と高円寺で待ち合わせをした。
とある打ち合わせがあって、ウシータに19:00集合予定だったんだけど
3人とも19:01頃ほぼ同時ほぼ同じ文面で「もう着きます!!」とLINEを飛ばしていて笑ってしまった。
これぞ高円寺時間。一緒にしてごめんなさい。

次回は、6月初旬の更新予定です。

ライタープロフィール

のうじょうりえ

千葉県出身、高円寺発。
キャッチコピーは人間大好きシンガーソングライター。
「高円寺の女王」の異名も持つ。

コロナ禍現在も東京を中心に月10本前後のライブに加え、路上ライブ、配信、遠征ライブなど精力的に活動。
音楽で生計を立てている。

高円寺を愛し盛り上げたいという思いと、高円寺駅を土日祝日も快速が停まる街にしたい、という秘かな野望がある。

地元千葉への愛も忘れず、台風15号の際チャリティー路上ライブを行い、集まった¥83,890を千葉県へ全額寄付している。

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