のうじょうりえ「日々の余白・杉並 2(自分の中に持ち続けるもの )」

ライター・のうじょうりえ
高円寺

お守り

高円寺を離れようと思っている。
今思えばわたしにとって高円寺はお守りみたいなものだったかもしれない。

住もうとおもったきっかけは元々好きだったから。
その内思っていたのと違かった高円寺に惹かれていった。
都会らしい雰囲気ではなく、お洒落さや格好良さはあるんだけど親しみやすさが残っているというか。
変わった人が多いと言われるけれど、それは自由であることを恐れないから。
人と違うことは駄目なことじゃない。それを体現しているようだった。
故に自分と人が違うことを理解してくれる。
自由であることを否定しないから、他人への許容が広い。
結果それは優しさだった。

しばらく住んでからその内高円寺を寂しい街だと感じていた。
わたしが見ていた街の人は1人が苦手で、人がいてくれることで何かを保っているようだった。
わたしもそうだった。だから余計にそう感じていた。
性格も生き方も全然違うのにわたし達は似ていた。
ただそこには確かに温もりがあった。
人の大切さを知っていて、人がいる幸せを皆噛み締めていた。
どこか寂しいのに体温を感じる街。
1人じゃないような気持ちになる街。

ここまで書いた高円寺の街のイメージは、9年近く住んでわたしが抱いたもの。
ただこれだけ住んで毎日のように高円寺で過ごしても、知らないことだってある。
わたしの目の届くすごく狭い所で語っているかもしれない。自分はそうは思わないという人も多いだろう。
街にはそれだけ沢山の人がいて、それぞれが色んな思いを持っているということ。
何年一緒に過ごしてもその人のことを全ては知れないように街のことを全て知るのは、人のことを知るより難しいかもしれない。
住む街を知る必要は別にないのだけど「自分にとってのこの街」を感じながら根を張っていく方が、良い暮らしに繋がるのではないかとわたしは思う。

高円寺から離れようと思ったきっかけは、正直一言では言えない。
住むきっかけや住み続けた理由は「好きだから」の一言で言えるのに、出ていこうとすると何故一言で済ませられないんだろう。
いつのまにか積もりすぎていたんだろうな。
そんなつもりじゃなかったのに、高円寺の街自体に思いを残していた。


でも何となく、前より今は自分の足で立てているような気がしていて、人なのか自分なのか物なのか実態のないものなのか漠然としているけど「大切なものは守りたい」って気持ちも前より強くなれた。
そんな気持ちになれたから、もう高円寺から離れても大丈夫と思えたのかもしれない。
きっと離れても心の中にずっと高円寺がある。
わたしにとって高円寺はお守りみたいなものだったのかもしれない。
これからは守られてばかりではない、大切なものを失くしたり忘れたりしない自分になりたい。

持ち味

周知の事実だが、高円寺は多くの居酒屋で賑わっている。
居酒屋の選び方は人によってかなり違うんだろうと想像する。
わたしの場合はライブが終わった後、0時以降に飲みに行くことが多いので深夜もやっているお店(早い時間に飲みに行けるときはせっかくなので深夜やっていないお店を選ぶ)
且つ1人¥3,000代でいけるくらいの安いお店(例え美味しくても1回しか行けないような高級なお店より、気軽に行けるお店を基本的に好むタイプなので安いというのは重要)

加えて今日は焼き鳥が食べたいなあなんて思いながら歩いていると、数多あるお店から更に絞られていく。
それでもまだ何店舗か候補が残り、どこにするか悩んでいるとき気が付いた。
「こんなに焼き鳥屋あるのにどこも生き残ってんのすごくね?」と。
今更感あるが、同じジャンルの居酒屋が各々経営を成り立たせていることにふと関心を抱いた。

わたしが食べたくなったからという理由で焼き鳥屋を例に出す。
居酒屋で必ずと言ってもいい確率でメニューにあるのは焼き鳥だろう。
「焼き鳥屋」と看板を掲げているお店もあるが、そうでないお店にも大体ある。
多くの焼き鳥が至る所にあるのに、何故焼き鳥屋は生き残っているんだろう。
当たり前だけど美味しくなかったら人気は出ない。
美味しいからといって値段を釣り上げたら価格の安いお店が多い高円寺でやっていくのは難しいだろう。
うーん、上手くいかなかったお店と何が違うのか。過去閉店してしまったお店も悪くなかった気がするが、、
そこで「今飲んでいる焼き鳥屋を何故選んだか」からまず考えてみる。

上述の通りわたしが行く居酒屋の基準は大体決まっている。
確かに今いるお店は安い。
結構お腹いっぱいになったが、明日また来ようと言われても痛くない値段。
味もとても美味しい。
以前知り合いにオススメされ気に入り何度か来ている。
焼き鳥屋を掲げているが、確かに焼き鳥というかそもそも鶏肉にこだわっているように感じた。
鶏のたたきなど鶏料理が豊富な中驚いたのは、メジャー料理である鳥の唐揚げがない所。
聞いた訳ではないからあくまで想像だが、唐揚げにしてしまうのが勿体ないレベルの良い鶏肉を使っているのか?!と思った。

接客は安いお店ではわたしはあまり気にしないので判断基準とはしない。
疲れているときは雑に扱われる大衆居酒屋に行きたくなる。
ほっといてくれるから自分のペース飲食できるし、同席の人と話せる。
ん?これがむしろ判断基準か?
丁寧すぎない接客のお店を確かに選んでいる。
このお店は雑な訳ではないけど、THE接客という感じはなく自然だった。
あとお店の至る所にルールの張り紙がされていた。
主に周りのお客さんの迷惑になりそうな行為を禁止する内容。
細かく項目が書かれていたので厳粛さを感じたが、店内の雰囲気はいたって普通。
厳しい訳ではなく目に余るレベルだと注意されるのだろう。
不快な人がいたときにお客さん同士では注意しづらい。
「ゆっくり楽しむ」という当たり前だが脅かされる可能性のあることを、事前にお店側が潰そうとしてくれている。
なんとも親切だ。

良い所を上げていって、最終的にまた行くかどうかになってくる。
人には都合があるので、タイミングが合わないと行きたくても中々行けないことはある。
その内行かなくなって、前はこのお店よく行ってたななんてことも。
一度遠のくと好きでも何故かどんどん行かなくなる不思議。
後悔したことが数え切れないほどあるのでなるべくこの現象は避けたいが、、
でも生き残るお店は新たなお客さんの心も掴んでいるんだろうな。
そしてまた久々に来た人に、「ここは相変わらずだな」って思わせたらもう勝ちだ。
変わりゆくものは多少あっても、「ブレない何か」を持って営業し続けるお店が生き残っていくのだろうか。

ブレない何か、すなわち信念か。
うちの店はこう!とはっきり言えるような。
流行りに乗ってコロコロ変えてしまうと、お店を好きだった人は当然離れていくし、そのお店へどういうときに行っていいか分からない。
信念を持つ、ブれないというのは中にいる人が強い意志でいなければ成し得ない。
真剣にやり続けた1つのことが上手くいかなかったときの逃げ道も作れない。とても怖いことだ。
それでも信念を持ち続けると「中身」「個性」になっていき、似ているジャンルのお店の中でも際立つようになっていくんだろう。
そうしてそれぞれのお店にお客さんがいて人気を保っている。
わたしはこれじゃないかと思う。
お店だって人間だって一緒だ。
わたしも揺らがない信念を持ち続けていたいと改めて思った。

居酒屋でこの記事を少し書いたけど、食事って何かやりながらだと味気ない。
美味しさが半減しているのに気が付き書くのをやめた。
料理とはちゃんと向き合おう。





ライタープロフィール

のうじょうりえ

千葉県出身・高円寺在住のシンガーソングライター、エッセイスト。
日々の悲しみや弱さや喜びの心象風景を「生きること」に視点を置いた文学的歌詞と言葉と共に、圧倒的なリアリティを持った美しい歌声とアコースティックサウンドで、自分自身と向き合う為の音楽を発表。年間でワンマンライブやサーキットフェスを含む200本近いライブ活動を行なう。
エッセイストとしても活動し、2022年より「ツブサ・スギナミ」にてコラムを連載中。

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