のうじょうりえのエッセイ「日々の余白・杉並 16(富士そばの塩分を糧に)」

文章 : のうじょうりえ
のうじょうりえ(シンガーソングライター・エッセイスト)

富士そばの塩分を糧に

誰にも紹介してもらう機会がないので寂しく自分で言うが、味覚はまあまあ鋭い方だと自負している。
料理を全然しない分際だが、隠し味だったり、どのタイミングで調味料を入れたかなどをよく当てる。
最近、我がソウルフードである富士そばに行く度に、
「前より汁が甘くなった気がする」
と感じていたのだが、それもやはり正解だったようで、そばつゆが2025年6月から全店舗リニューアルしていたそうだ。。

  • ウルトラファインバブル発生装置を「富士そば」全店舗へ導入決定
  • そば出汁の抽出時にウルトラファインバブル水を活用し、そばつゆの出汁感向上

とのこと。
富士そばは店舗によりメニューがかなり違うし、味の違いも店ごとにあるものだと思っていたので、そういう事にしてしまっていたが。

富士そばのつゆは関東の風を、ぶいぶい吹かせている。
「めんつゆというかこれは醤油では?」と何度思ったことだろう。
眼球がぎゅっ!となるくらいの味の濃さに、初めこそ衝撃を受けたが、それが段々と癖になる。
毎日のようにお酒を飲んでいた高円寺時代、その塩分を糧に幸せホルモンを分泌させていたものだ。
リニューアルしたそばつゆは、受け入れやすい丸い味になった。
しかしわたしは、既に富士そばの尖りあるそばつゆに、飼い慣らされてしまっていた。

そして皆さん、ご存知だろうか。

富士そば高円寺店がリニューアルしたのだ!

1月から2月末ごろまで改装工事と、中々長い期間だったので、大分変わるのだろうと胸を躍らせた。
(高円寺店数年前にもリニューアルしていたが、儲かっているのだろうか)
待ちに待った、リニューアルオープン。
早速行ってきた。

言わずもがな店内が、ばちくそ綺麗になった。
店内が明るくなった相乗効果で、自分の顔まで違く見える。
今までは券売機で食券を購入した後、カウンターで食券を提出し、うどんとおそばどちらにするか伝えていたが、券売機が新しくなり注文時点で指定できるようになったので、その必要がなくなった。
更に注文番号がモニターに表示されるようになり、店員さんが番号札で呼び出す必要もない。
店員さんの「うどんとおそばどちらですか?」の問いも、
「番号札〇〇でお待ちのお客様〜!」の掛け声も聞けなくなるのか。
今の方が断然便利で楽なのに、なんだこの喪失感は。
変な気持ちになってきた矢先、「番号札〇〇でお待ちのお客様〜!」と呼ばれた。

全然声出ししてくれてた。
ありがてえ。


今回はシンプルにかけ蕎麦と、卵が食べたい日だった。
富士そばの右腕ともいえる紅生姜天は、後から追加で頼んだ。
お蕎麦に乗った状態の天ぷらは、好みではないからだ。
それになんでか天ぷらは、いつも券売機の段階では決めかねてしまい、お蕎麦を受け取る頃に決断する。
なので天ぷらを頼むときは大体、カウンターで店員さんに直接小銭を渡して注文する。
小心者のわたしらしくはない、なんでこうするようになったかも覚えていない、正しい注文方法なのかも分からないのだが、嫌な顔をされなかったのでこの方法が定着してしまった。
(ご迷惑でしたらすみません)
しかしリニューアルした高円寺店の姿を見て、やっぱり控えようと思った。
なので追加の紅生姜天は券売機で注文した。
お皿まで新しくなっていた。
ピカピカのお皿に、紅生姜天がパンパンに盛られている。

洗い物を増やして申し訳ないが、わたしは富士そばに来ると、水と蕎麦湯の2個飲みと決まっている。
そういえば、富士そば高円寺店のウォーターサーバーの水は「日本一美味い」「美味くて飲まれすぎてサーバーが故障した」と界隈がざわついていたことがある。
あまりに信憑性がないが、実際に結構美味い。
しかしながらこの辺りの人はお酒を飲みすぎていて、そもそも水が何より美味いと感じているのではないか、と思う。
もしくは富士そばのつゆの塩分が、そうさせるのか。
何にせよ、富士そばは我々のオアシスということに違いないのである。

最後に、リニューアルした高円寺店で最も驚いたのがお手洗いだ。
まるでお洒落なバーやカフェのようだ。
そこは、店内で流れる演歌が遠く感じるほどの別世界。
謎に鏡に女優ライトスイッチまでついている。
思わず押してしまった。

店内の写真をばしゃばしゃ撮るのに気が引けたので、わたしが食べたお蕎麦の写真だけで申し訳ない。
文章でどこまで伝わったかは分からないが、兎にも角にもみんな富士そば高円寺店へ行きましょう。

別れの季節

この時期、路上ライブをすると、別れの瞬間をよく目にする。

大きな花束を抱える人。
袴や着物を着る人。
長めの挨拶を交わす人。

そんな人達を見る度、3月を感じる。
わたしに全く関係ないし、全然知らない人達なのに、なんとなく胸が締め付けられるのは何故だろう。
同じ曲を歌っていても、いつもにない感情が乗る。
4月の出会いの季節は、対照的な気持ちになったりするんだろうか。

別れは、わたしもたくさん味わってきた。
学校を卒業しても、職場が変わっても、いつでも会えるじゃんって思っていた。
でも、定期的に会い続けている人は全然いない。
トイレまで一緒に行っていた友達も、休みも一緒に遊んでいた先輩も。

古い友達に会いたいな、と思うことはもちろんある。
会いたいと思った人全員と、今すぐ会えだらそれが一番良い。
しかし時間は有限だ。
会いたいから、楽しいから、明日も明後日も会おうとは、手放しに言えない。
仕事も、一人の時間も必要で、今の環境下の人間関係もある。
現実的なことばかり考えてしまう。
それはわたしだけでなく、きっと相手も。
大人になったのだと思う。

「あの時は良かったな」とよぎる瞬間もある。
ただそれは「あの時の方が良かった」という意味ではない。
良い悪いではないし、思い出は比べるものでもない。
もう出来ないこともあるが、今だからこそ出来ることがある。
過去が輝いて見えても、今がくすむ訳ではない。
そもそも思い出というもの自体、まぶしく感じる様にできているのかもしれない。

そういえば、高円寺で路上ライブをしていた時は、別れの季節を感じることはあまりなかった気がする。
何故か考えてみたが、高円寺外の人達に、高円寺が送別会の場として選ばれる事があまり想像できないのだ。
普段からスーツ姿の人を見掛けることが他の街に比べたら圧倒的に少なかったので、単に私服で送別会が行われていただけかもしれないが。

だが、見えないだけで、高円寺にも別れは勿論ある。
夢追う若者が多く住み、「いつか卒業する街」とも呼ばれる高円寺こそ、別れは多い街なのかもしれない。

そういうわたしも、高円寺で共に過ごした友達とは、今ほとんど会えていない。
なのに、不思議と遠く離れた感じはしない。
一緒に過ごした時間は、会わなくなった程度では消えないと思っている。

皆がそれぞれの道で生きている。
それだけでなんだか嬉しくて、わたしも前を向こうと思える。
今この瞬間のことも「あの時良かったな」といつか思えるように、更新していきたい。



ライタープロフィール

のうじょうりえ

千葉県出身のシンガーソングライター、エッセイスト。
日々の悲しみや弱さや喜びの心象風景を「生きること」に視点を置いた文学的歌詞と言葉と共に、圧倒的なリアリティを持った美しい歌声とアコースティックサウンドで、自分自身と向き合う為の音楽を発表。年間でワンマンライブやサーキットフェスを含む200本近いライブ活動を行なう。
エッセイストとしても活動し、2022年より「ツブサ・スギナミ」にてコラムを連載中。

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