“お笑いをやらずには終われない” フランスピアノなかがわが描く「人生のチェックリスト」と、高円寺カルチャー【フランスピアノ・なかがわりょう】

高円寺

ABCお笑いグランプリ決勝進出など、数々の賞レースで結果を残し、コント・漫才ともにハイレベルなネタを繰り広げる、グレープカンパニー所属の若手実力派コンビ フランスピアノ

そんなフランスピアノのネタ作りを担うなかがわりょうは、お笑いはもちろん、古着やお酒もこよなく愛する一面があり、この高円寺の街にも深いゆかりがあるのだ。

本記事ではなかがわ氏にインタビューを敢行し、コンビ結成からサラリーマン時代を経て芸人となった経緯、お笑いへの熱い思い、そして高円寺でのエピソードや今後の目標までたっぷりと語ってもらった。

“思い出作り”の結成から一転。Wi-Fi営業マンを経て導かれたグレープカンパニーへの道

ーー コンビ名(フランスピアノ)の由来はあるんですか?

なかがわ:今の相方(ヨーヘー)が1個下の後輩なんですけど、大学生のときに同じお笑いサークルで。ヨーヘーから「同期とコンビ組むんで名前考えてください」って言われて、そもそも人のコンビ名だと思って考えていたんですよ。だから適当に「フランスなんとか…フランスピアノとか良いんじゃない?」って言ったら、全然違う名前「ガムグミ」っていう意味わからない名前にしてて(笑)

その後、ヨーヘーと一緒にお笑いをすることになって、「じゃあ前言ったフランスピアノ、まだ使ってないからそれにしようよ」ってことでつけたんですよね。そもそも自分がつけると思ってないんで、めっちゃ適当で。まさかここまで背負うことになるとは思わなかったです。

ーー ヨーヘーさんとコンビを組むことになったきっかけは何だったのでしょうか?

なかがわ: 昔から仲は良かったんですよね。一緒にお笑いサークルの旅行に行った時に、ずっと悪ふざけしたりして。本気で人狼ゲームをやってる人を邪魔したり、恋バナしてる部屋に入っていって「大喜利やれるだろ」と茶化したり(笑)

そもそも学生お笑いって、みんないろんな人とコンビを組むんですけど、僕が卒業間近の4年生の2、3月頃に大会があって。「最後1回、さすがにやりませんか?」とヨーへーが言ってくれて、本当に思い出作りのような感覚で組んだのがフランスピアノのはじまりでした。

ーー 卒業ギリギリの結成だったんですね!

なかがわ:そうなんです!最後にちょっと組んでおこうくらいのテンションで、一番大きな大会「NOROSHI」に出たら、もともと僕がやっていたコンビと、今のフランスピアノの両方が準決勝に上がって。さらにフランスピアノの方は決勝まで進んじゃったんですよ。「なんかこのコンビいいのかも」と思いつつも、そのまま卒業して一旦は就職しました。芸人をやりたい気持ちはずっとあったんですが、もともと組んでた相方は芸人をやらなさそうで、ただヨーヘーはやりそうだなと。
そこで急に、フランスピアノが「本コンビ」として自分の中で浮上してきた感覚はありましたね。

ーー 就職されてからは、どんなお仕事をされていたんですか?

なかがわ: 浜松町で1年半ぐらい普通のサラリーマンをやってました。スーツを着て、きっちりWi-Fiの営業マンをやってましたね。ただ、心の底では「お笑いをやりたい」と思いながら働いていたので、会社には申し訳ないですが、多少サボっちゃうこともあったり…(笑)
就活の時もあまり深く考えていなくて、なんとなく学生お笑いの経験を強みにしようと、広告系の営業などで調べて、それでヒットした会社に適当に入ってしまっていたので、今思えば、もう辞める前提だったのかもしれないです。
会社員時代も、土日に大喜利ライブに出たり、M-1やキングオブコントなどの賞レースにはエントリーしていました。

ーー そこから会社員を辞めて、グレープカンパニーに所属するまではどのような経緯で?

なかがわ: 会社員を辞めて1年間のフリー期間があったんですよ。ちょっとややこしいんですが、『ロンドンハーツ』の番組内で、僕がカズレーザーさんに弟子入りするという長期スパンのドッキリ企画があって、その企画の都合で「1年間はフリーでいてください」という縛りがあり、事務所のオーディションを受けずにフリーで過ごしていて。
でも、そのフリー期間中にカズレーザーさんに色々と話を聞く中で、「グレープカンパニーいいよ」と勧めてもらったんです。ご自身の所属するサンミュージックじゃないのをお勧めするって、今考えたらすごい話ですよね(笑)

フリー期間が明けて、サンミュージックとグレープカンパニー、2つの事務所のオーディションを受けて、最初はサンミュージックが受からず、グレープカンパニーが好感触だったんですが、その後サンミュージックもいい感じになって、どちらにも入れそうな時期があったんです。
ちょうどその頃、先輩のわらふぢなるおさんが、両方の事務所にまたがって所属していた状態からグレープカンパニー 一本に絞るのを目の前で見て。「グレープを選んだ先輩がいる」「カズレーザーさんも勧めてくれた」という理由が重なり、僕らもグレープカンパニーにしようと決めました。直感というより、自分なりの根拠を持って選んだ気がします。

「バカなまま飛び込めなかった」生粋のお笑いフリークがプロの世界で腹を括るまで

ーー そもそも、お笑い自体はずっとお好きだったんですか?

なかがわ: 子供の頃からお笑いはずっと見ていて本当に大好きでした!小学生の頃から『爆笑オンエアバトル』を見て、小中高校生はラーメンズさんが大好きで。特に高校時代は、吉本の無限大ホールでやっていた『AGE AGE LIVE』の生配信を毎日見てましたね。

高3から大学時代にかけては、かもめんたるさんが大好きでチケットを買ってよく見に行ってました。下北沢にあった100人キャパぐらいの劇場で、キングオブコントで初めて決勝に行く前のかもめんたるさんの単独ライブを、当時男子高校生が客席のど真ん中で見てたんですよ。今、自分が舞台に立つ側になって思いますけど、そんな男子高校生、客席に絶対いないですよね(笑)

ただ、そうした憧れの芸人たちをずっと見ていたからこそ「自分には無理だな」とも思っていたんです。「あんなに面白い人たちが解散してしまった」という現実もたくさん見てきましたし、ライブでめちゃくちゃ面白い人たちでも、売れるのはほんの一握りだということも分かっていて。
バカなままお笑いの世界に飛び込めなかったというか。「芸人最高!絶対やりたい!」というよりは、「めっちゃ好きだしやりたいけど、現実はきついよな」という冷静な視点があった気がします。
だから、就職して社会人として「これでいいや」と満足できたら一番幸せだろうなと思っていました。でも、当然そんなことはなく、サラリーマンじゃ全く満足できなかったですね。

ーー そこから芸人として生きていく決心をした、決定的な出来事があったのでしょうか?

なかがわ: 実は、就職して3ヶ月ぐらいで父が亡くなったんです。自分自身、人間ってそう簡単に死なないと思い込んでいたところがあったんですが、その出来事をきっかけに「やりたいことをやっておかないと」と、人生についてより深く考えるようになりました。「お父さんが死んだから芸人になる」と直結したわけではないですが、お笑いをやらずには終われないなと、腹を括る大きなきっかけになったのは間違いないです。だからこそ、芸人になったことに今も後悔は一切ありません。

麦ソーダとアメリカン古着。なかがわが見る高円寺カルチャーの魅力

ーー 現在はご実家でお母様と二人暮らしされているんですよね

なかがわ: 実家暮らしの芸人が取材を受けるのは初じゃないですか?(笑)
実家にいると、高いところの物を取ってあげた時なんかに、母親から「これ、りょうがいなくなったらどうすんだろうね」とポツリと言われたりはするので、早く実家を出ろみたいな圧なんかはあまりないんですが、でも基本的には家事もサボらせてもらって、節約にもなるし、本当に楽な実家暮らしを満喫しています…(笑) 

ーー なかがわさんといえばお酒もお好きなイメージですが、高円寺周辺でもよく飲まれますか?

なかがわ: 高円寺でライブがあった日はやっぱり飲みますね!とりあえずビールは確実に飲むんですが、最近は麦焼酎のソーダ割りに逃げることが多いです。麦ソーダにカットレモンを入れたものが、一番無限に飲めるんですよ。 高円寺でよく行くお店は、駅近くの「やきとん長良(ながら)」。串も美味しいんですけど、七輪で自分で焼くスタイルの「焼き刺し盛り合わせ」っていうメニューがあって。タン・ハツ・レバー・カシラが4枚ずつ乗って800円とめちゃくちゃ安くて美味いんです!他のメニューもハズレがないし、メガハイボールが580円なのも本当に助かってます。

ーー オフの日はどのように過ごされているんですか?

なかがわ: 丸1日休みになることはあまりないんですが、野球観戦が大好きなのでずっと見ちゃいますね。あとは野球ファンのYouTubeチャンネルを見たり。自分でガチで野球をやったことはないんですけど、見るのは本当に好きです。

ーー お洋服もおしゃれですが、古着屋巡りなどもされたり?

なかがわ: 仲の良い「おおぞらモード」の長山アカリップも古着が好きなので、シーズンごとに2人で古着屋をガッツリ巡って、夜にお酒を飲むっていうのを高円寺でやってます。買った服を居酒屋でちょっと着てみて、「やっぱいいわ~」って言い合う時間が楽しいんですよ。
古着といえば下北沢のイメージもあると思うんですが、下北は人が多くてちょっと疲れちゃうので、僕はやっぱり高円寺派ですね。古着の知識が豊富なわけではないので、直感でかっこいいと思ったものを買うだけですが、アメリカ系の古着が多いです。 高円寺だと「Grandberry Jam(グランベリージャム)」がめっちゃ好きで、あと少し値段が張るんですけど「BROTHER(ブラザー)」も。状態が綺麗でサイズ感が本当に良くて、僕はあまり背が高くないので、自分に合う丁度いいサイズの古着となると、どうしても高くなっちゃうんですよね。

ーー 今日着ていらっしゃるお洋服も高円寺の古着屋さんで?

なかがわ: せっかく写真を撮ってもらうので、今日は高円寺の街に合いそうな服をめちゃめちゃ悩んで着てきたんですが、これは…下北沢で買った服です(笑)

ーー 下北じゃないですか(笑)

なかがわ: さっきいろいろ語りながら「やばい今日の服、下北だ」と思っていました(笑)

賞レースは「人生ビンゴ」の一部。フランスピアノが目指す、ネタとタレント性の究極のバランス

ーー フランスピアノさんは、どの賞レースでも常に準決勝や準々決勝の高い位置にいる印象です!漫才とコント、それぞれ両方をハイレベルにこなされていますが、作り方に違いはあるのでしょうか?

なかがわ:自分たちではまだまだだと思っていて、逆にいつも準決勝や準々決勝止まりなんです。ただ、2022年に「ABCお笑いグランプリ」で決勝に行けた時は素直に嬉しかったですね。自分の中で、お笑いをやる上で達成しておきたい「チェック項目」が一つ埋まったような感覚がありました。 ネタ作りに関しては、基本的には何かアイデアを思いついてから、漫才とコント、向いている方に振り分けて作り上げているだけです。例えば「1人で何役もやりたい」「ボケが3人欲しい」という時、コントだと着替えが必要で物理的に難しいですが、漫才ならパッと切り替えられる。
漫才とコント、両方とも元々は憧れから入って今やっているので、どんなお笑いも全部やりたいという気持ちが根底にありますね。

ーー やっぱりネタを披露されている時が一番楽しいですか?

なかがわ:ライブは楽しいですし、新ネタをおろす時もワクワクします!毎年やっている単独ライブも、前日までは「もう単独なんてやりたくない…」って思うほど大変なんですけど、終わってみると「やっぱりまたやりたい」ってなるんですよね。 ただ、僕は“ネタ職人”や“コント師”といったストイックなイメージだけを持たれるのはあまり好きじゃなくて。単独ライブでも、ビシビシのお笑いだけになりすぎないよう、幕間の映像を砕けたロケ映像にしたり、漫才を挟んだりと、カジュアルなイメージを持ってもらえるように意識しています。 

あとは地方のショッピングモールでの営業で「相方がこれやりますんで、成功したら拍手をお願いします!」と盛り上げるような仕事や、前説、司会といったタレント性のある仕事も大好きなんです。明るく楽しくやる感じも含めて、芸人ができる仕事全般が好きなんですよね。

ーー 今後の目標や、理想とする芸人像について教えてください!

なかがわ:よく「単独ライブだけで食っていけるようになりたい」という目標を聞きますが、僕はそれよりも「単独でも食えてるし、他のバラエティや営業の仕事もやってる」くらいのバランスが理想です。事務所の大先輩であるサンドウィッチマンさんがまさにそうですよね。いまだに単独ライブをやりつつ、それ以外の仕事も幅広くされている。あのバランス感には強く憧れます。

だけど賞レースで結果を残したい気持ちも、もちろんあります。さっきの「チェックリスト」の話に近いですけど、自分の人生を「ビンゴ」として見た時に、賞レースの決勝に行くっていうのは真ん中にあって、絶対に開けておかないと、ビンゴが揃わない感じがするんですよね。

ーー お笑い以外でも今後は、古着や野球関連のお仕事も増えそうですよね…!

なかがわ:服の仕事もやってみたいですが、ただ好きというだけでは難しくて、もっと勉強が必要だなと感じています。今は芸人仲間の漫才衣装を一緒に選びに行ったりするくらいですね。
野球の仕事はすごくやりたいです!ただ、同じ巨人ファンとして大鶴肥満さんという大きなライバルがいるので、なかなか牙城を崩すのは難しそうですが(笑)
でも、爆笑問題さんのラジオに出させていただいた時に巨人トークで盛り上がったりもしたので、チャンスがあればどんどんアピールしていきたいです。 あとは最近ラジオの仕事も始まったのですが、ナレーションなど「声」のお仕事は今後たくさんやっていけたらうれしいですね…まだまだ叶えていきたいことだらけです!

【フランスピアノ・なかがわりょう】プロフィール

フランスピアノ なかがわりょう

1992年、千葉県出身。グレープカンパニー所属。

学生時代からの知人であった相方・ヨーヘーとコンビ「フランスピアノ」を結成し、
1年間のフリー活動期間を経て、グレープカンパニーに所属となる。 

2022年には「ABCお笑いグランプリ」で決勝進出。キングオブコントやM-1グランプリ、ダブルインパクトなど主要な賞レースでも準決勝・準々決勝の常連としてその実力を示しており、コント・漫才の両刀使いとして高い評価を得ている。

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【取材執筆・写真家 伊藤夏希】プロフィール


伊藤夏希

1998年、宮崎県生まれ、高円寺在住。
武蔵野音楽大学を卒業後、写真家 / 音楽家として、東京・宮崎を拠点に活動する。
2023年に開催した初の写真個展「この街で生きた、あの頃のこと。」を機に、これまでに計7回の写真展を行うほか、“伊藤日記”での名義でカフェやイベントを中心とした演奏活動、音楽配信も行う。
2026年6月23日〜30日、下北現像所にて8回目となる写真展「ピザ、廃墟、船を漕ぐ」を開催。

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