高円寺の “ 庶民派 ” 女王・のうじょうコラム vol.26 ~ 人が街を諦めている ~

高円寺の “ 庶民派 ” 女王・のうじょうコラム vol26 高円寺

あなたにとって「良い暮らし」とはどのようなものですか?

”高円寺の女王”と物騒なキャッチコピーで呼ばれつつも、
超庶民派ミュージシャンのうじょうりえ
高円寺の目線で「良い暮らし」を伝えていく

高円寺の”庶民派”女王・のうじょうコラム

4月度お送りします!

人が街を諦めている

疲れているときは雑な居酒屋に行きたくなる。
大衆居酒屋という類の飲み屋。
安い、綺麗ではない、お洒落でもない、店員さんの愛想も良くない。
店員さんの愛想が良いか悪いかはお店と人によるけど、まじで疲れているときは接客まで雑なお店が良いと思ってしまう。
お酒1杯400円以内の安くて雑多な居酒屋で、雑に扱われたい。
さすがに1杯700円とかするお店で雑な接客をされたら良い気持ちにはならないだろうから、わたしにMっ気があるとかそういうことではない。
期待しないし、期待されない。
親しい友達といるあの楽な感じと似ていて安心する。

丁寧に扱われると嬉しいけど、そんなにしてくれるならこちらも丁寧に返さねばという気持ちになるのが人の心理で
構えてしまったりするので、何とも思われてない接客をされるのが愛おしくなったり。
大衆居酒屋が永遠になくならず増えていくのはこういう理由もあって欲しい。

高円寺で一緒に飲んでいた友達が「高円寺って人の方が街を諦めているからいいよね」と呟いた。
良い意味なんだけど住んでない自分の口から言うと棘があるから、お前の口から言ってくれと言われた。
駅前の広場で奇行に走る人がいること、ホッピーのナカがコップの8割ほどを占めて届くこと、大体のことが「高円寺だから」の一言で納得し片付いてしまう。
「しょうがないよ高円寺だから」のニュアンスで言いながら、大好きなものを見るような目をしてるから「それがいいんだ高円寺は」って本当は思ってるのがバレてる。
これでいいやというよりは、これがいいんだよという感じ。となると諦めてはないのか。
ありのままを受け入れる、ということになるのかな。


これナカ頼んで実際にきたやつです、、8割どころじゃなかった、、
水じゃなく焼酎100%です、、


過度な期待はただの理想の押し付けなので、期待し過ぎる事をわたしはいい加減やめたいのだ。
なのに色々なことを諦められずにいるんだよな。
ただ世の中には色んな人がいて、分からないまま終わっていく物事もある。
そんなときに、生きるってこんなもんだよなぁとはやっと思えるようになってきた。
人や起こった事に対して興味が無くなった訳ではなくて、むしろ積極的に理解しようとしている。
有り得ない!なんて決め付けなくなった。
高円寺に住んだことによる恩恵を感じる。だから東京って好きなんだよな。
人が多い分あらゆることが起きるから。毎日揉まれながら生きられる。
自分は自分と意志を貫いたり、たまに流されてみたり。
離れた所に好きな人達が大勢いるけど、わたしはまだ東京にいたい。
傷付く覚悟で外に出て、たまに幸せを拾いたい。
自分の足で歩いて棒に当たりたいんだ。

優しいと気遣い

地元にいたとき中々に接客の厳しい飲食店で働いていて、そのお店はアンケートがあったんだけど
料理の提供などどうしてもお客様が会話しているところに割って入ってしまう場合があって、会話の邪魔になったみたいな意見がたまに書かれていた。
席に行く時は失礼しますを言い終わってからお辞儀をして、と隅々まで決められていたけど
マニュアル通りの丁寧な接客をするのが絶対に正しい訳ではないとそこで学んだ。
マニュアル通りにやるべきか、そうじゃないかとまで考えられるようになったのはしばらく働いて大分仕事に慣れてきてからだけど。
そんなん働き始めたばかりじゃ分からんし、違うと思っても中々行動に移せないよな。
教えられた通りにまずはやらないと先輩に怒られるのが仕事だもんな。

あと飲食店はチームプレーという感覚がすごくあったので、お客様に対してじゃなくて一緒に働いているスタッフに対してもかなり気を遣っていたな。
バチクソ忙しいお店だったので各々余裕がなくなってくる事も多々あったが、スタッフ同士の雰囲気が良くないとお客様にも伝わっていく。
そのままアンケートの評価に表れていたり、お客様の表情もなんとなく良くなかったりで。
こうして、超焦ってても平然を装う癖ができたのであった。

そこでのバイト時代に沢山のことを教えてもらったんだけど、接客も仕事とはいえ人と人だから、今でも日常の人付き合いで参考にしていたりする。
特によく思うのは「優しい」と「気遣い」は似てるけど違うということ。
例えば落ち込んでいる友達がいたら、慰めてあげた方がいいのか、放っておいてあげた方がいいのか、その子にとってどれが1番ベストか考えて選ぶ。
これは「気遣い」だと思う。
慰めてあげたら周りから見たら優しい人に見える。
放っておいてあげる事を選択して、冷たいやつだと言われるかもしれない。
何が正しいってのはその人とその時の状況によるからないんだけど
テンプレートのような優しさを与えるより、相手を想って考えることがまず大切なんじゃないかと。
考えるのって疲れるし、時間も掛かるし、気持ちがないとできなくて
そんな面倒くさいことを自分の為でなく、人の為にできるって素敵なことなんだよな。
自分で考えなくちゃいけないから失敗しちゃうこともあって、反省するけど。
人を大切に想う時間は無駄じゃない、と思う。
だから気遣いのできる人がわたしは好き。だしそうなりたい。

ところで「お客様」と今でも書いているのはバイトのときに「お客さん」とは呼ばないようにとこっぴどく教えられてきたからだ。
しゃぶしゃぶ屋で価格がそんなに安くはなかったので、上品にというのもあったのかな。
名残でその後に働いたバイト先がフランクなお店でも、お客様って言い続けてた。逆に浮いていた。
わたしは声が大きいので少しでも淑やかにしたくて、接客のとき小さめな声で話すように意識していたんだけど
元気な職場でもそれをやってしまったのでよく怒られた。テンション上げて働く為に酒飲んでから来いとか言われたな。
性格は明るい方ではとよく人に言われるけど、いぇーいって感じで働くのが非常に苦手で言ってしまえば苦痛だったので、こうなってくるともう自分が陽なのか陰なのか分からない。

相対して今ライブに来てくれたり音楽を聞いてくれている方のことは「お客さん」と言っている。
お客様はなんだか余所余所しくて呼びたくなかった。それに音楽やライブは接客とは違うし。
かといって「ファン」はわたし如きが偉そうな感じがして、小恥ずかしくて言えない。
(ファンです!と言ってもらえるのはめちゃくちゃ嬉しいのでめちゃくちゃに言って下さい)
この話初めてしたけど、シンガーソングライター始めたときからずっとこうだった。変わらない気がしている。
自然体で出来ている証拠だろうな。
わたしをわたしらしくいさせてくれているのは、受け入れてくれるお客さんのお陰でもある。




次回は、5月初旬の更新予定です。

ライタープロフィール

のうじょうりえ

千葉県出身、高円寺発。
キャッチコピーは人間大好きシンガーソングライター。
「高円寺の女王」の異名も持つ。

コロナ禍現在も東京を中心に月10本前後のライブに加え、路上ライブ、配信、遠征ライブなど精力的に活動。
音楽で生計を立てている。

高円寺を愛し盛り上げたいという思いと、高円寺駅を土日祝日も快速が停まる街にしたい、という秘かな野望がある。

地元千葉への愛も忘れず、台風15号の際チャリティー路上ライブを行い、集まった¥83,890を千葉県へ全額寄付している。

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