高円寺の “ 庶民派 ” 女王・のうじょうコラム vol.32 ~ 今、側にある幸せ ~

高円寺の “ 庶民派 ” 女王・のうじょうコラム vol.32
文章:のうじょうりえ
高円寺

あなたにとって「良い暮らし」とはどのようなものですか?

”高円寺の女王”と物騒なキャッチコピーで呼ばれつつも、
超庶民派ミュージシャンのうじょうりえが
高円寺の目線で「良い暮らし」を伝えていく

高円寺の”庶民派”女王・のうじょうコラム

10月度お送りします!

夏って終わるんだ

蝉と交代するように秋の虫の声が聞こえ始めてくると、あんなに暑くて文句言いまくってた夏もちゃんと終わるんだって思う。
終わりを感じたら途端に寂しくなってくるの、人って過ぎ去ってからつくづく気が付く生き物だな。
これがまだ来年も必ずやってくる季節で良かったとほっとする。
アイスボックス割りも飲めなくなるな。
JJ(ジャスミン焼酎のジャスミン茶割)との相性の良さを発見したのはわたしの今夏の功績だ。
それにしても突然前触れもなく夏いなくなるなんて、もっとノースリーブ着とけば良かったとか潰れるくらい酒飲めば良かったとか未練が残る。
バイバイくらい言ってくれればいいのに。

冬くらい振り切って寒くなってくれると寂しいって感じる余裕もなくなるんだけど、秋の過ごしやすい気温とこの前まで夏いたじゃん〜ってギャップで何とも言えない気持ちの沈み方をするときがある。
サウナが最近流行ってるけど、サウナーの人に熱弁されたのが
サウナはとんでもない暑さととんでもない寒さを感じて体が極限状態、いわば原始時代の隕石が降ってきて氷河期を迎えたときのようになって
それに適応しようとした結果、体と思考が整うとのことだった。
、、サウナすごくね?

過ごしやすい季節って体感は良いけど、サウナ理論でいくと冬より秋の方がしんみり感じるの筋が通ってる気がする(暴論すぎるかな)
あと秋って落ち着いた色のものが多いじゃん、服とか食べ物とか植物とか。
冬は白い雪とかイルミネーションとかキラキラしてるものが増えるし、視覚的に入ってくる情報も相まってるんじゃないか(これも暴論?)
こんなこと書いてたら、人間って追い込まれた余裕のない状況の方が考えとかシンプルになって逆に活力湧いたりするのではと思ってきた。
確かにむちゃくちゃお金ないとき割と前向きに強く生きてたような、、悩んでもやるしかなかったしな。
もしかしたらわたし達色々考えすぎなのかもね。

この前レコーディングに向かう途中で白い鳩を見付けた。
珍しい!縁起が良い!とわたしは慌てて写真を撮ってるのに、他の鳩が平然としてるの見てたら
自分が気にしていることは誰かにとっては取るに足らないことだったりするのかなとふと思った。
皆そんなにわたしのこと気にしないなら、わたしも細かいことは気にしなくてもいいのかもって。

本当は大したことじゃないことを悩んじゃうのも自分で、大したことでもなんとかしなくちゃいけないのも自分で。
自分のことを誰かが解決してくれる訳はなくて。
その内あんなこともあったなくらいに思える日がくるのかもしれない。
そしてそう思えるようになるかも自分次第という。
誰かに何とかしてもらおうとするのは一瞬は良くても、助けてもらいすぎてる内にひとりで歩けなくなっちゃう。
転んだときに少し手を貸してもらうくらいでいいんだろうな。
しかし、わたしにとっては取るに足らないことでも誰かにとっては大変なことだったりもする。
それは大事にしなきゃだめだ。

そんなことを鳩に考えさせられながら汗だくでレコーディングに向かう。
15分遅刻した。

夏の最後のホープこと朝顔は去年11月まで咲いていたので、彼らは日本で最も遅くまで夏を生きる生き物だと思っている。
今年は何月まで夏をひっぱってくれるのか楽しみ。

ライト

幸せの定義は人それぞれ。
曲作りしているせいか、幸せとはなんだろう、これが幸せかもと考えることが多いのでわたしはもしかしたら幸せに貪欲なのかもしれない。
でも幸せを感じると「これは夢かもしれない、瞬きしたら違うシーンになって真っ暗かもしれない」とか本気で不安になるし、
逆に辛いときは「自分は辛い思いをして当然だ、幸せになれなくて仕方ない」と妙に納得してしまったりもする。
実に面倒くさい。

こんな性質だからなのか知らんけど、大きい出来事を中々曲にできない。
特別なことがあったりとか、普段行かない所へ行ったこととか。思い返せば全然曲にしてない。
多分すっごい狭い所で生きていて、日常のありふれた出来事ばかり曲に書いてる。
小さい幸せを拾い集めていかないとやってられないんじゃないかと思う。
そういうのって何故か覚えておきたいのにすぐ忘れちゃうし。
悲しくなったときに思い出すと心が温かくなって、もう少し頑張れる気がする。
お守りのようなもの。

9月父、母、兄と家族全員集まる機会があった。
母はとても元気な人で、1人でずっと喋っている。よく喉痛くならないなと思うほどずっと。わたしの喉の強さは母譲りか否か。
兄と特に父は無口な方で、2人はただ母に返事をしたり聞き流したりしている。
そんな母と長年連れ添っているのだから父は大層なスルースキルの持ち主なのだろう。
様子を見ていると家族の形がちょっと分かってくる。

母が教えてくれた最近の父の話。
実家の庭に暗くなると自動で点くライトが設置されているんだけど、
リビングで父がライトが点く瞬間を眺めながら突然「こういうのが幸せなんだろうな」
と呟いたらしい。
母がカーテンを閉めようとしたら、もう少し眺めてたいから少し隙間を空けといてくれってお願いされたと。
その言葉の意味はお父さんにしか分からないけど、幸せそうに話してくれたので母もなんとなくは分かったのかな。
笑って馬鹿にしたりもしないで黙って聞いてたんだろうなと想像できた。
わたしはこの人達の娘で良かったなと心から思った。
兄がその話してる最中に「家にお金かけたりできて余裕ができたからじゃない」と水を差すようなことを言っていたが、真面目な兄らしいというかそれはそれで愛おしかった。
わたしの家族だ。

ご飯が美味しいとか近所の銭湯が気持ち良いとか今日も歌えたこととか、わたしは今側にあるものに幸せを感じる。
いつでもできないことだとそれまでが辛くなっちゃいそうだから、今できていることが変わらずあるのが幸せ。
旅行に行くとか宝くじが当たるとか、滅多にないことが起こるのも嬉しいけどね。
滅多にない嬉しいことが起こるまで頑張れるような力がまずは欲しいんだよ。
でも今あるものがこれからも絶対に変わらずあるとは限らない。
だから感謝をしていきたいし、忘れてしまったら終わりだとも思う。

幸せの定義は人それぞれ。
公園の滑り台に夜中寝っ転がってお酒飲んで、こんな大人になるつもりなかったよねなんて笑って話しながら
目線の先で光るライトを眺めてたら、お父さんの気持ちが少し分かった気がした。


次回は、11月初旬の更新予定です。

ライタープロフィール

のうじょうりえ

千葉県出身、高円寺発。
キャッチコピーは人間大好きシンガーソングライター。
「高円寺の女王」の異名も持つ。

コロナ禍現在も東京を中心に月10本前後のライブに加え、路上ライブ、配信、遠征ライブなど精力的に活動。
音楽で生計を立てている。

高円寺を愛し盛り上げたいという思いと、高円寺駅を土日祝日も快速が停まる街にしたい、という秘かな野望がある。

地元千葉への愛も忘れず、台風15号の際チャリティー路上ライブを行い、集まった¥83,890を千葉県へ全額寄付している。

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