高円寺の “ 庶民派 ” 女王・のうじょうコラム vol.34 ~ 音楽の中が一番自分だった。 ~

文章:のうじょうりえ
文章:のうじょうりえ
高円寺

あなたにとって「良い暮らし」とはどのようなものですか?

”高円寺の女王”と物騒なキャッチコピーで呼ばれつつも、
超庶民派ミュージシャンのうじょうりえが
高円寺の目線で「良い暮らし」を伝えていく

高円寺の”庶民派”女王・のうじょうコラム

12月度お送りします!

周りの目は気にしない

最近外で1人で大きな声で歌っている人をよく見掛ける。
ライブではない。歩きながら、自転車に乗りながら、おそらくただ歌いたいから歌っている。気持ち良さそうに。
たまたまかもしれないが、もしかして増えた?
前はこんなに出会わなかった。
人が目に入ったりすれ違うときには歌うのをやめる人が多いけど、最近見掛ける歌う人はそれでもやめない。
もちろん鼻歌レベルではない。
我が道を行き、思いっきり歌い続ける。
何事だ?と思い振り返ってしまうわたしが間違っているんだ。そんな気にさせられる。
その次にはもう、周りの目は気にしない姿勢に羨望している。

わたしはシンガーソングライターを生業にしているけど、帰り道に歌ったりはしたことがない。
単純に恥ずかしいからだ。
わたしが歌うことが大好きな前提で気持ちを聞いてもらいたいんだけど
カラオケは誘われても全然行きたくないし、路上ライブを1人で始めるときは心細くて帰りたくなるし、ライブハウスでのライブは今でも緊張する。
歌い出すと不思議と力が湧いてきて、緊張を凌ぐ強い感情が歌に乗るから気にはならなくなっていくけど。
何年経っても何回やっても慣れない。慣れない方がいいんだろうなとも思ってる。

母に小さい頃「普通でいなさい」とよく言われていた。
皆と違うことはせず、目立たず、穏やかに過ごして欲しかったんだろう。
それは母の愛情からの教えだったんだろうと今では思う。
周りからどう思われるかすごく気にしてしまう自分の性格を考えると、人前で演奏できていること自体奇跡なのかもしれない。
歳を重ねて人に合わせることが全てではないと気付いたし、全てを分かり合うことはできないと知った。
音楽は尚更様々な解釈をされるものだけど、やりたいことが音楽以外なかったのだから仕方ない。
だからこそ周りの目を気にせず外で1人で歌っている人を見掛けると、羨ましく思ってしまうのだ。
目立ちたいからやるでもなく、ただ自分が歌いたいから歌う。
普通はやらないのかもしれない、けど彼らを普通じゃないとは言いたくない。
全ての人が誰かを傷付けたりしない範囲で「自分がやりたいからやる」をできたら。

文化

高円寺の飲食店にギターを持って入るとよく店員さんに「稼いできた?」と話し掛けられる。
「ギターを弾くと缶とかにお金が入るんだよね〜」と嬉しそうに言われた。
音楽の文化が根強いのもあるだろうし、ミュージシャンを売れないと馬鹿にせず接してくれている感じもする。
本当に音楽に馴染みのある街だなと思う。

さてどこの飲食店でしょう
答えは画像をクリック

缶にお金が入る〜と言っていたが、それは主に投げ銭といわれていて演奏に対して払いたいお金を自由に払うこと。
YouTubeでいうスーパーチャットみたいなものか。
なんでか分からないけど筒状の缶を投げ銭入れにしている人が多くて、店員さんはそのことを言っていたんだろう。
あれだ、ディ〇ニーランドのお土産でもらうランキングNo. 1のチョコクランチの缶を大分小さくしたようなやつだ。
投げ銭入れの缶は割と共通認識なことが多いので面白い。
ちなみにわたしはそのような都合の良い缶は持っていない。何故だ。

大体のライブは決められたチケット代があってライブを観る為にその料金を払うシステム。
なので投げ銭という言葉にピンとこない人も多いだろうけど、高円寺は投げ銭の認知がかなりされているように感じる。
投げ銭やってみたい!という人も実際にいた。
わたしがもしミュージシャンじゃなかったら、中々経験する機会がないし確かにやってみたいと思うかも。
そもそも高円寺=音楽の街というイメージもあるし、昔から代表的な路上ライブスポットと言われてきたのでそれもあるのかな。
今となっては客観的に見るのが難しいから予想になってしまうけど。

高円寺は音楽の街と呼ばれるのはいわば文化だろう。路上ライブもその一部ではあったと思う。
ただ昨今高円寺含め各地で路上ライブが厳しくなっていることを踏まえると、最早時代には合っていないのかもしれない。
文化を良いとも悪いとも捉える人もいる。
そもそも文化はルールではないのできっちり定められているものでもない。
嫌だという人がいれば変えていかなくちゃいけないこともある。
思う所があり声を上げてみたくなっても、それは自分にとって都合が良いからかもしれない。
文化を言い切ることは誰にもできないのかもしれない。

思いと一緒に生きること

コラムで宣伝みたいになってしまうのは気が引けるんだけど、高円寺に関わることだし12月誕生日月だしでなんとか多めに見てほしい。

12/17誕生日には毎年ワンマンライブをやっていて、今年は高円寺HIGHで開催する。
氷川神社の前の坂を下った所にある、わたしの住んでいる街で1番大きなライブハウス。
HIGHの向かいの公園も思い出がありすぎる場所で、わたしはこの街で作った曲が山程あって
素直にまたここでやりたくなって、今回やらせてもらうことにした。

わたしは曲を作るとき、ライブをするとき、気持ちをいつも大切にしている。
AIが普及してもやはり人が作った曲が聞かれているのって、やはり音楽や芸術は人間がやることに意味があるのだと思う。
ただ上手いとか格好良いとかって言われるライブじゃなくて、自分の気持ちと向かい合えるようなライブがしたい。
体温を感じる音楽をやりたい。
思い出のある高円寺でワンマンをやりたいと思ったのは本心だけど、実際場所がどうこうじゃなくて、そういえばどこでライブしてもわたしはわたしだった。
音楽の中が一番自分だった。
ライブしながら思うことは沢山あるだろうけど、思い出を振り返るというよりはたった今、目の前のことを結局は思うんだろう。
わたしのことは考えなくていいから、聞いてくれる人が自分自身のことを考えたり気付いたりできたらいいな。
そうしてみたいって人は、12/17(火)高円寺HIGHによければ来て下さい。


2024.12/17(火)高円寺HIGH
のうじょうりえ誕生日ワンマンライブ
「感情全部で、抱きしめる〜8度目の誕生日〜」
19:00オープン 19:30スタート
チケット¥3000+ドリンク代

ご予約、お問い合わせはこちら
nonheyhey@gmail.com



ライタープロフィール

のうじょうりえ

千葉県出身・高円寺在住のシンガーソングライター、エッセイスト。
日々の悲しみや弱さや喜びの心象風景を「生きること」に視点を置いた文学的歌詞と言葉と共に、圧倒的なリアリティを持った美しい歌声とアコースティックサウンドで、自分自身と向き合う為の音楽を発表。年間でワンマンライブやサーキットフェスを含む200本近いライブ活動を行なう。
エッセイストとしても活動し、2022年より「ツブサ・スギナミ」にてコラムを連載中。

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