何かの秋
「残暑」と言われましても、これは残りじゃなく本質の暑さだろ、、、と文句が出るくらいには9月前半暑かった。
それなのに気が付いたら秋の虫の声が聞こえてきて、半袖じゃ肌寒くなってきた。
とうとう長袖の服に袖を通したとき、間違いなく季節って変わるんだなと思った。
真夏に冬のライブの予定を立てていると、冬が来ることが想像できない。
本当に来るのだろうか。
冷静に考えると1年通して最大の気温差が30度くらいあるのやばくないか?
場所によってはもっと気温差がある。
けどそれが当たり前になっている。
こんな気温差でも耐えられるよう生活している。
逆に季節が変わらなかった方が非常事態だ。
当たり前なことは当たり前じゃない。
急な季節の変化に、こんなことまで考えさせられる。
それにしても秋の始まり、眠くて仕方がない。
わたしだけなのだろうかと思ったが、何人か同じような人がいたし、うちの猫も寝ている時間が長くなった。
いつもは起きてきて遊んでいる時間もまだ寝ている。
みんな眠いなら大丈夫か、そういうものだと気を抜いてたまに長めに寝てしまう。
「寝子」が語源の説がある猫を見て判断するのはいささか危険な気もするが。
猫と暮らし始めて最初の秋を迎えたのだが、寒くなってきたのを感じた出来事がある。
猫がわたしの枕元で寝るようになったことだ。
3月に家に来て慣れ始めた頃は枕元で寝ていたのだが、しばらくしたら別の場所で寝るようになった。
猫は信用していればいるほど人の顔の近くで寝るそうで、親心としては若干寂しく感じてはいたが、とても信用されてないようには見えないので気にしないことにした。
しかしそれがただ気温のせいだったかもしれないと、ある朝気が付いた。
目覚めたら猫が目の前で寝ていたのである。
わたしを足蹴にして。

人間の言葉で「足を向けて寝られない」というのがあるが、彼にとってわたしは足を向けていい、もはや足を乗せて寝て良い存在なのだろう。
これを喜んでしまうのも、猫の飼い主が「しもべ」と称される所以の一つだろう。
秋が来てから食欲もすごい。
昔の人たちは本当に、言い得て妙だなとよく思う。
夏は失せていた食欲が全て戻ってきているのを感じる。
お腹が減っていないのに何か口に入れたくて仕方がない。
太った?と言われる日が来るのではないかと怯えている。
ただ高円寺を離れてから、多くの人に痩せたとかなり心配されているので、少しくらい食べ過ぎてみても良いのかもしれない。
実際体重はそんなに変わっていないので、考えられる理由はお酒を飲まなくなったことだ。
高円寺を離れてからお酒を飲む機会が減り、むくみが取れたのではないかと思う。
それだけ拒否反応が出ていたということは、わたしにとってお酒は毒だったのかもしれない。
痩せたと心配される度に、友人が「高円寺を離れてから何もしていないのに10キロ痩せた。あの街の空気にはきっとカロリーが溶け出している。」と語っていたのを思い出す。
少し前まで夏が終わるのが寂しいとめそめそしていたが、いざ秋が来ると案外、そよりと切り替えられるものだ。
過ごしやすい気温には勝てないのである。
それはそれで寂しくもあり、順応できる人間はすごいなと関心したり。
変わる季節にもちゃんとついて来いと、季節の風が知らせてくれているのかもしれない。
味楽
書きたいと思いながら、半年以上経ってしまった。
でも時間が経っても忘れない。
ずっと大好きな町中華屋さん。
気持ちがまとまってから、しっかり書きたかった。


今年3月に店主のお父さんが急逝され、閉店した高円寺の味楽。
わたしの高円寺での生活をかなり支えてくれた飲食店だった。
令和とは思えない価格、量、そして実家のような安心感。
予想を上回る山盛りの料理にもうお腹ぱんぱんなのに、帰り際なぜか必ずもらえるうまい棒。
もちろんその日は食べる気になれないので、どんどん家にうまい棒が増えていった。
今ではもう、うまい棒を見ただけで味楽を思い出す。
味楽がある内は高円寺離れない!と言い張っていたこともあった。
本当に偶然だが、味楽が閉店するほぼ同時期にわたしは高円寺から引っ越した。
絶対に関係はないのに、そんなこと口にしなければ良かったと思ってしまった。
味楽はお父さんとお母さん2人で経営されていて、数ヶ月お休みすることも度々あって、お店を継ぐ人がいないであろうことは通っている人には分かることだった。
それに高円寺の特に高架下、味楽がある辺りは再開発が進みそうな気配もあった。
物も人も永遠ではない。もちろん自分も。
いつかはなくなる。
じゃあ寂しいから誰とも関わらず生きていこう、とは思わない。
2度と会えない人や生き物、戻らない場所。
これまでも沢山その瞬間を迎えたけれど、出会わなければ良かったとか、知らなければ良かったなんて思ったことはなかった。
そのひとたちが幸せをくれたからだ。
幸せにしようとしていなくても、生きるということはそれだけ人に影響を与えてしまうものなのだ。
最近新たな街で路上ライブを始めたのだが、高円寺での路上ライブのことがずっと胸にある。
お店の人が優しいから、お店の近くでも演奏ができている。
以前演奏していた人がモラルを持っていてくれたから、自分は今ここで演奏できている。
路上ライブをしているだけで迷惑に思う人もいるだろうに、怒らないでいてくれる。
路上ライブ目線にはなってしまうが、きっとここにも文化があるのだと思う。
路上ライブをやっている周辺のゴミを拾う人を見掛けたとき、特にそう感じた。
この場所を大切にしている人がいる。
大好きだった高円寺だけじゃなく、誰かが大切にしているこの場所も、大切にしたいと思った。
こんな風に思わせてくれるようになったのは、紛れもなく高円寺だ。
高円寺の街や人のお陰でわたしは街を好きになったし、守りたくなった。
高円寺での路上ライブの聖地、京樽はもうないけど、こうしてわたしの中で今も生き続けている。
自分1人では気が付かなかったことを、関わってくれた人や場所が教えてくれる。
これからもずっと影響を与えて、わたしを作っていってくれるのだろう。
なくなってしまっても、消えることはない。
味楽もそうだ。
ギターを持って味楽に行くと、お父さんが厨房から「今日は儲かった?」とよく声を掛けてくれた。
味楽の安さに甘えて食べに来ているあたり儲かっているはずはないのだが、その質問は売れないミュージシャンとレッテルを貼らず迎えてくれているような気がして、嬉しかった。
食べられるだけ食べに行ったなあ。
書いていたら涙が出そうになったけど、味楽を好きだったわたし達の心に、味楽はあり続けてくれる。
ごちそうさまでした。
そして幸せな食事の時間をありがとうございました。
いつも小さい声になっちゃうから、「ごちそうさま」は聞こえるように大きな声で言っていこう。
この文を書きながらそう思った。


ライタープロフィール

のうじょうりえ
千葉県出身のシンガーソングライター、エッセイスト。
日々の悲しみや弱さや喜びの心象風景を「生きること」に視点を置いた文学的歌詞と言葉と共に、圧倒的なリアリティを持った美しい歌声とアコースティックサウンドで、自分自身と向き合う為の音楽を発表。年間でワンマンライブやサーキットフェスを含む200本近いライブ活動を行なう。
エッセイストとしても活動し、2022年より「ツブサ・スギナミ」にてコラムを連載中。
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