のうじょうりえ(シンガーソングライター)のエッセイ : 日々の余白 杉並 #18「高円寺の行く先」

サムネイル写真 : 伊藤夏希
のうじょうりえ【シンガーソングライター】


先月、高円寺へ行った。
引っ越してからも大体毎月行っていたけど、今回は珍しく2ヶ月くらい空いてしまった。
久しぶりの高円寺を満喫したくて、必要以上に駅周辺を歩いてみたりした。
散歩。
無駄な時間は有用だ。
歩いていて、まず頭に浮かんだのは「小汚い」だった。
そんな綺麗な町ばかり見て過ごしてきた訳でもないので、高円寺はきっと特別に小汚い町なのだと思う。
理屈なんて全くない、あまりに感覚的な感想。

高円寺を愛する、そこのあなた。
一見マイナスに感じる「小汚い」の文字に腹を立てず、わたしの話をもう少しだけ聞いてほしい。

ここで言う「小汚い」は、わたしの高円寺の好きなポイントなのである。
良い意味で、って前置きを入れたらなんでも言っていいって感じのやつでも決してない。


当たり前のことだが「汚れ」は時間が経ったり、人の手が加わってつくものだ。
全然使っていない部屋を掃除しても埃は溜まらないが、部屋をよく使うようになってからすごく埃が出るようになった。
人が関わると、物ってどんどん汚れていくんだなと、その時思った。
また、自分がずっと使った物だと、年季の入った様子が愛おしくもなる。

けれど高円寺は、自分が関わっていない物にまで、まるで長年連れ添ったような感情に近いものを抱く。
無機質な物でさえ、命があるように見えてしまう。
日本には付喪神(つくもがみ)という言い伝えがあるが、そんな神々しい雰囲気ではない。
もっと生々しくて、しっかり触れられる感じ。
命があるというより、命が関わってきたことが分かる、という感覚かもしれない。
物自体に命はなくても、沢山の命が物に触れている。
汚れていくのは、生きているから。
それは何物にも変え難い、美しさである。


わたしの人生で出会った、街に存在する「ご自由にどうぞ」の9割は高円寺にある。
住んでいるときはあまりに多すぎて麻痺していたが、本来こんなに出会うものではない。

しかも今回は「ご自由にお聞き下さい」まであった。
なんだか学ぶものがある。


高円寺に引っ越してきた頃、高円寺ストリート入ってすぐにあった自販機横のリサイクルボックスが溢れ返っているのを見て「高円寺らしいな」と思ったのを、今でも覚えている。
なんでそんなことを、らしいなんて思ったんだろう。
なんでこんなに些細なことを、今でも忘れられないのだろう。

また他の街との対比みたいになってしまうけど、それまでこんな光景を見ることがなかったのだと思う。
そして、嫌だな、と思った訳でもない。
自分の飲んだ缶を捨てられるのが一番良いはずなのに、ただの一つも入れさせてくれなそうなほど溜まったリサイクルボックスに、わたしはクスっと笑ってしまった。
いつでもちゃんとしてなくていい「このくらいでいいよ」と囁いてくれるような。
そんな懐の広さを、街の些細な所から感じたのかもしれない。


「このくらいでいい」といえば、まるでわたしにとっての高円寺を、具現化したようなお店があった。
ネパール居酒屋「祭り太鼓」だ。

ネパール料理もあるし、日本メニューも豊富。
今は高架下の再開発により閉店、移転した。
このお店が心底好きで、多いときは週4で行った。
間違いなく高円寺で、一番通ったお店である。
なぜ愛してやまないかというと、とにかく「安い、明るい、緩い」のだ。

まず、いつも会計が思っているより、安い。
お会計を頼んで渡される紙には合計額だけ手書きしてあって、内訳が分からない。
お通しが枝豆なのだが、お通し代もずっと謎だった。
ある日、お腹が減っていなくて料理を頼めず(それでも祭り太鼓には行った)、今日こそお通し代がいくらなのか判明するかと思ったが、どう計算しても存在していない(?)
ふつうの居酒屋で注文したら出てくる、そこそこの量の枝豆が、タダで通されていた…?

祭り太鼓のおもしろエピソードはいくつもあるのだが、その中から一つ。

いつも通りの、祭り太鼓。
3時頃まで営業しているので、夜中も安心。
確か1時過ぎだか、そのくらいの時間だったと思う。
突然店員さんが、厨房で慌ただしく大声を出し始めた。
ネパール語なので、何を話しているのかは分からない。
いつも明るいお店からすると、ただならぬ空気である。
その後すぐに店員さんが、いつも通りの笑顔でラストオーダーを聞きに来た。
にしては早い時間で、「電気が消える」的なことをどうやら言っていたようだったが、日本語が怪しく、半信半疑だった。
しかし間もなくして、本当にお店の全ての電気が落ちたのである。

その当時はたまに夜中、高架下の計画停電が行われていた。
時間になったら高架下全ての電気が消え、真っ暗になった。
なので通常、お店はそれまでに閉めなくてはいけないのだが、その日店員さん達が忘れていたようだ。

店内にはわたしの席以外にも結構お客さんがいたが、皆そんなことはつゆ知らず、飲食を続けていた。
電気が消えた瞬間、どこかの席から「誕生日かな!おめでとう!」と声が上がった。
そしてそのまま、ほとんど全員が携帯のライトを点け出し、何事もなかったように飲み会を続けたのである。

さすが、ここのお客は教育が行き届いているなと、感心した。
何が起きても動じないその心、あっぱれ。

祭り太鼓の移転先はなんと、新宿歌舞伎町とのこと。
余計なお世話だが、非常に心配である。
しかし逆に、ギラギラした歌舞伎町の癒しスポットとして君臨してくれるのではないか、という期待もある。
こんな肩の力が抜ける居酒屋は、なかなかない。
新宿は怖いが、祭り太鼓の為ならば必ず行くぞ。
ちなみに価格設定は少し値上がりしているようだが、やっと正規の値段になったかも。
いや、サワー319円は安いな。
何度も言うが、移転先はあの歌舞伎町だ。
やはり心配である。

更に朗報!
知人さんから教わったのだが、祭り太鼓が5/1から高円寺に帰ってきて間借り営業しているそう。
高円寺駅を中野方面に歩いた高架下にある「焼酎酒場 放浪記」にて。
キッチン南海などお店が並ぶ、あのあたりか。
昼はランチなどを提供する「放浪記」、夜20時から朝5時までは「祭り太鼓」として営業中。
4月に移転した新宿店もそのまま続けて、高円寺で再開したお店と合計2店舗で運営していくそう。
これは嬉しいなあ。




なんだろう、高円寺ストリートの写真を見返すだけで、胸がぎゅっとなる。

思い出があるから、というだけではない。
人の温もりが目に映る。

高円寺ストリートの再開発に関しては正直、このあたりを歩いただけではあまり実感が湧かなかった。
本当にここはなくなるのか、新しくなるのか、道になってしまうのか。
高円寺マシタが延長するらしい、という話も聞いた。
でもどれも、わたしはまだ想像ができない。

今の駅前マシタができる前もそんな気持ちだったけど、マシタだってちゃんと完成したから、きっと本当に変わっていくんだろうな。
変わるのはすごく寂しくて嫌だったけど、マシタができたら、これはこれでいいなぁって思ったっけ。

わたしじゃないけど、近くで路上ライブをやっていたミュージシャンが止められてしまったけど、プレオープンしていたマシタのお店がテラスでライブさせてくれた話を聞いたことがある。
新しくなっても高円寺は高円寺だなって、そのとき嬉しかった。
何より、今ではマシタも違和感なく高円寺の一部だと思う。

人も物も、同じままではいられない。
時が経てば変わっていくのは自然なこと。
ただ自分の好きなものにそのまま変わらないでいてほしいと願うのも、自然なこと。
新しいとか、綺麗とか、便利とか、良いはずのことが、わたし達にとっても良いことだとは限らない。

人間は、そんな単純じゃない。
いつか受け入れて、一緒に変わっていけたりするのだろうか。

変わる前の今はまだ、分からないね。






文章・本文写真 : のうじょうりえ
サムネイル写真 : 伊藤夏希

のうじょうりえ

千葉県出身のシンガーソングライター。
日々の悲しみや弱さや喜びの心象風景を「生きること」に視点を置いた文学的歌詞と言葉と共に、圧倒的なリアリティを持った美しい歌声とアコースティックサウンドで、自分自身と向き合う為の音楽を発表。
年間でワンマンライブやサーキットフェスを含む200本近いライブ活動を行なう。
2022年より「ツブサ・スギナミ」にてエッセイを連載。

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