小説「高円寺 in joke」第2話 : ねじ子と【Sahar】

高円寺 in joke
文・玉川アキラ
高円寺


前話のあらすじ
~主人公でいたって普通の男「小田切(ジョー)」が仕事の関係で高円寺へ引っ越し、高円寺民となる。
そこに同僚で気が置けない友人「岩崎」が高円寺に遊びに来たところから、物語ははじまった。~

⇒前話はこちら

裏庭のハトやカラスの鳴き声であったり、セミの歌声であったり、携帯や目覚まし時計が告げる終焉のファンファーレであったり、人によって違いはあれど、何かをきっかけに目覚める際、音に起因するものが多い、そんな気がする。

周囲にニワトリを飼っている人に生まれてこの方遭遇したことがないので、残念ながらコケコッコーで目覚めたことは一度もない。

その代わり僕はここ数日”ぷいぷい”で起きている、そう、ぷいぷいだ。
正確に言うとぷい~ん、ぷい~ん、であるのだが、大流行したモルモットのアニメの影響でぷいぷいの方がわかりやすいと思ってそのように言ったまでだ。

モルモットのねじ子とは、ちょうど二年前、この道を通った時ではなく、以前住んでいた八王子の家の近くにあった馴染みの雑貨屋さんで出会った。

その店の店主は動物保護活動も積極的にされていて、お店の一角にスペースを設けて動物たちと触れ合うこともできるようになっていた。

ねじ子と初めて会った、その時のことは今でも鮮明に覚えている。

僕自身、動物が好きということもあって、その店の動物たちとは気軽に触れ合っていたのだが、初めてねじ子を見て目が合った瞬間、店内のBGM、人や動物たちの息遣いどころか、自分自身の心臓の鼓動の音さえも聞こえなくなっていた。

“・・・ぼくと契約して、ぷいぷい戦士になってよ・・・”

その言葉だけが頭の中で響き渡り、気が付いた時には僕の腕の中でぷいぷい言っていた、これがねじ子と今一緒に住んでいる理由であるが、そんなホラーめいた話を信じてもらえるはずもなく、皆似たような反応を見せたので、今では心の引き出しにしまってある、上から二段目だ。
唯一、岩崎だけは『ねじ子ちゃんは僕っ子だったのか、いいね』と言って何度もうなずいていた。

ちなみにねじ子はその日以来、言葉を発することはなくなってしまった、契約したのに、ぷいぷいだけで会話しようとする横着な奴だ。

名前の由来については頭頂部の毛が男子中学生がトイレの鏡の前で上目遣いで一生懸命ねじっている前髪のような形になっていたので、ねじ子となった。
決して大人気の鬼狩りのアニメに寄せているわけではない、恐れ多い。

八王子にいた時よりも元気になっている気がするな、そういえば、朝の目覚ましぷいぷいも高円寺にきてから始まったことだ。
もしかしたら高円寺の空気にあってるのかもしれないな、そんなことを想いながら、高円寺初日の夜を振り返ってみる。

高円寺に引っ越してきたあの日、岩崎に純情商店街にある焼き肉屋でご馳走になった後、その足で新居を見せてほしいということで、二人で家に向かって歩を進めた。

純情商店街を抜け、右折した先の十字路を左に入ると、あづま通り商店街になる。
家へ向かうのに使用する商店街だが、この通りは他の商店街に比べ遅くまでやっている飲食店は少なく、集合住宅が多い穏やかな通りで、人通りもそこまで多くない。

高円寺にしては穏やかな通りだな、と話しながら早稲田通りの方に向かっている途中、右側に真っ赤な外壁でライトアップされたお店が目についた、店先の立て看板に大きな文字で【Sahar】と記載されており、バルのような感じで外から覗いてみるとカウンターにお酒の瓶が並んでいるのが見える。

『お、良い感じのお店じゃん、ちょっと入ってみよう』

僕の返答を聞くまでもなく、勢いよく扉を開け入っていく岩崎の後を追いかけるように、聞きなれない【Sahar】の言葉に興味を持った僕もお店に入っていった。

『こんばんは、お好きなところにどうぞ』

穏やかな笑みを浮かべ、人のよさそうなマスターが挨拶をしてくれた。
歳は60歳前後だろうか、老いを感じさせないスマートな体躯と長さのある顎鬚が特徴的で、真っ白な長髪を後ろでまとめている。

店内はカウンターとテーブル席が数席あり、見たところマスターお一人でやられているようだ。

カウンターに何人か座っていたので、空いているテーブル席に座るとマスターがメニューを持ってきてくれた。

『いらっしゃい、うちは初めてですか?』

『そうなんですよ~彼が今日こっちに引っ越してきたんで、向かっている途中に素敵なお店が見えたんで入っちゃいました』

『ふぁっふぁっふぁっ、それはどうも、若い人にそう言ってもらえると嬉しいですね。
特にこれと言って何もないお店だけど、のんびりしていってください』

やや特徴的な笑い方をする店主だが、物腰の柔らかさと同時に力強い眼差しも併せ持っている、第一印象でこういう年の取り方をしたいなと思わせてくれるような素敵な方だった。

『何もないといってますけどめちゃくちゃメニュー多いですよね~、ウィスキーが一番多いんですね、お好きなんですか?』

『ウィスキーはね、ボトルが特徴的で個性的なのが多いからね、カウンターに並べたら可愛いかなと思って、置いてくうちに増えちゃったね』

『確かに可愛いの多いですよね~僕もウィスキーが好きで、特にアイラ地方が。マスターはどこのがお好きなんですか?』

『僕は芋焼酎が好きなんだよね』

ウィスキーじゃないのか、そう笑いながらマスターを見返すと満面の笑顔で返してくれた。

『面白いな~そしたらアードベックをロックでください、ジョーは?』

『そしたら僕は、ジョニ黒のソーダ割で』

ちなみに僕は食事と一緒にお酒を飲むことができない、だから俗にいう、食事とお酒のマリアージュという言葉がわからない。
アルコールが入ると感覚が鈍くなって、味に集中できなくなるという感覚があるのだ。
それ故ハンバーガーにしても焼き肉にしても、一番合うのはお酒ではなくコーラだと思っている。

先ほどのお店でもコーラを飲んでいたので、高円寺での最初のお酒は焼き肉屋ではなく、このお店【Sahar】での一杯になった。

『そしたら高円寺での記念すべき俺の一杯に、かんぱぱぱぁ~いん』

あれ、ちょっと乾杯の音頭変わったなと思いつつ乾杯をすませた。

ウィスキーのほんのりとした甘みと爽快な炭酸が喉を気持ちよく通り過ぎていく。

岩崎と飲むときの話題は大抵仕事以外の話が多い。
今日はねじ子の話や転生したら友達が増えた話、岩崎が本命の子の前だと口下手になり、喋るたびに眉毛が動いてしまう話など他愛もないものであったが、高円寺初日ということも相まって、いつも以上に楽しかった。

店を後にした後で、そういえば【Sahar】の意味を聞くの忘れたな、と。
帰り道にある店だ、これから何度も通うことになるかもしれない、次言った時にでも聞いてみよう、そう思いながら、帰路につき、高円寺初日の夜は更けていった。


⇒次回、3話へ続く。(4月13日更新予定です。)

著者・プロフィール

高円寺 in joke・玉川アキラ

玉川 アキラ

東京都出身、ヒッピー文化発祥の地である国分寺で大半を過ごす。

『韋駄天』『ゆらりゆられゆるりらと』『転生したら友達が増えた』などのノンフィクション作品で知られるが、壮大なスケール構成なため筆が進まず、どの作品もタイトル以外は完成していないことから、『未完の大器』と業界では囁かれている。

産声をあげたその瞬間からカレーの匂いが苦手であるゆえ、今ではカレーの匂いを皮膚が感知した瞬間に、鼻呼吸から口呼吸に自動に切り替えられるように身体を進化させている。

普段はFXトレーダーとして活動しているが、裏では高円寺のフードパブ『Ahola』の店主を気取っている。

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【写真】望月泰貴