小説「高円寺 in joke」第1話 : 高円寺民への始まり

高円寺 in joke
文・玉川アキラ
高円寺

『この電車は西荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺には停車いたしません』

土日に流される駅構内のアナウンスに耳を傾けながら三鷹駅で降車し、JR総武線のホームに向かう。
高円寺に降り立つために、土日のみに必要なこの乗り換えも何も考えずに行えるようになってきた、3月半ば。
引っ越し準備の兼ね合いで何度か降り立ってはいたが、今日から晴れて高円寺の民になるんだなと、漠然とした想いを抱きながらもこれといって胸が高ぶる様子もなく、機械的に高円寺方面に向かう。

僕の名前は️小田切健児、苗字がおだぎりだからということで、ジョーと呼ばれている。
地元の大学を卒業後、就職を機に東京に上京、映像配信会社のカスタマーセンター部門に配属され早6年目、現在はアルバイトや派遣社員の管理を任されている。
特に声を大にして主張したいことなどあるわけもなく、自分でいうのもなんだが、いたって普通の男だ。

何か強いこだわりがあるわけではないが、全くこだわりがないわけでもなく、一人でいたい時もあれば、誰かといたい時もある、話をしたい時もあれば、聞きたい時もあり、歌を歌いたいことはあまりないが、歌を聴きたいことはある、そう、いたって普通の男だ。

そんな僕が高円寺に引っ越しを決めたのは、他でもない、職場が移動になったためだ。

今までは職場の最寄り駅が橋本だったため、八王子に住んでいたが、この春から九段下に移動したため、職場までに乗り換えが不要で、距離と家賃の兼ね合いから東西線直通の総武線が止まる高円寺を選んだ、出勤の際の乗り換えは、できればしたくないという想いがあったのだ。

別段高円寺という町に思い入れがあるわけでも憧れがあるわけでもなく、かといって何も知らないわけでも嫌悪感があるわけでもない、名前や世間的に知られているイメージくらいは知っている、そんなレベルである。

部屋の荷物も片付け終わり、夕飯までにはまだ時間がある、中途半端な時間だ、二年前から一緒に住んでいるモルモットの“ねじ子”も、つい先ほどぷいぷい言わせたし、とりあえずシャワーでもあびようか。
そう思い立ち上がったと同時に携帯の画面が光った。
着信画面に踊る️岩崎楓の文字、会社の同期である。

『やぁやぁやぁまん、そろそろ引っ越し作業終わったころかなと思ってさ?』

『あぁ、今さっき終わったよ』

『おぉ、じゃぁ今から遊び行くよ、引っ越し祝いになんか食べ行こうよ、好きなもんご馳走するよ、ん~そしたら今から30分後に駅に迎え来てもらえる?おちゃ~す』

了解、その言葉だけを返し、電話を切る。
冷たい対応なように見受けられるかもしれないが、これが通常運転であり、彼自身もそれで良しとしてくれていることから、僕にとってはとても心地が良い関係性である。

ちなみに彼のいう『おちゃ~す』は、よろしくお願いしますの意であり、最近のマイブームだそうだ、その前は『よろみ~』だった。

岩崎とは会社の入社前研修で隣に座って会話して以来の仲である。
彼は営業部に配属されたため、仕事上の接点は多いわけではないが、プライベートではよく遊びに行ったりする間柄だ。

同期ではあるが、現役でストレート卒の僕とは異なり、1浪1留している彼は年齢的には2つ上である。
2つ上だが、初めて会った時から彼の生み出す空気感は独特なもので、気が置けない関係になるのに時間はかからなかった。

1浪1留した理由も、大学を愛しすぎちゃったし、大学も俺を愛してたから4年じゃ足りなかったんだな〜と屈託のない笑顔で話すその様は、直属の上長から『天性の人たらし』と言われ、老若男女から可愛がられている。

他にも僕には無い一面を多々持ち合わせている彼には、少しだけ尊敬の念も抱いている。
ちなみに大学は通うだけでテストを受けなくても単位がもらえると思っていたらしく、単位をすべて落とした判明した際には、笑いながら、そうか、これが都市伝説ってやつか~と言ったそうだ。

自宅から駅までは歩いて10分かからないほどの距離である。
いつも通り待ち合わせ時間の5分前に改札口に到着、高円寺駅は改札が一つしかないので待ち合わせ場所にはちょうどいい。

待ち合わせ時間から遅れること15分、現れた岩崎は軽く謝りながら『土日は快速止まらないんだな、忘れられてんの?』と顔をにやつかせた。

その佇まいは人ごみの中でも一目でわかる、スラっとした高身長で清潔感漂うファッション、映画タイタニックのレオナルド・ディカプリオを彷彿とさせる髪型は面が良い男前にしか許されていない特権であるが、彼に文句を言える奴は誰もいないであろう。
高円寺という街の雰囲気も相まって、一際浮いている、いや目立っている。

そういえば、その時のシチュエーションによってつける香水も毎回変えるって何かの拍子に聞いた覚えがある、今日も良いにおいだ。
行く当ても何も決めていないが、とりあえず北口に向かって歩き出した。

『ここが高円寺か~生まれて初めて降りたよ、名前は聞いたことあるけど、あ、純情商店街ってのは知ってるよ。古着と音楽の街ってイメージだけど実際どうなの?』

『まだ引っ越し作業で数回来ただけだから全然わからないよ』

『まぁそうだよね、おぉ、駅前賑やかだね~人通りも多いし、声~高円寺に消え~♪ってやつだな、ってか賑やかっていうか軽くうるさいよね?』

まだ明るい時間帯ではあるがロータリーや高架下では流しのミュージシャンが音を奏で、酒瓶を右手に、煙草を左手に、幸せを表現している人たちもいる。

『あぁ、良いね良いね、雑多な感じで溢れてるね、割とイメージ通りじゃん、安心したわ、なんつーか、in jokeって感じだね』

『ん?どういう意味?』

『仲間内だけで通じる盛り上がり、要は内輪ネタってこと』

『それってなんかあんまり嬉しい言葉じゃないよね』

『あれ?そう?褒め言葉で言ったんだよ?長所を短所みたいに言うなって。
身内に入れば楽しいし、どこもそんな感じだろ、TVにしてもYouTubeにしても音楽にしても、仲間内で盛り上がれる空間があるって素敵なことだよ。
それに街でそれを表現できるって、なかなか稀有なことだと思うからさ』

その時の僕は、彼のいうその言葉に対し、力強く賛同することはできなかった。
釈然としない僕の表情を見透かしたように、岩崎は笑いながら肩をたたいて言った。

『️ジョーがin jokeってのを感じられるようになった時が、初めて高円寺民になれた時で、楽しいってなる瞬間なんじゃないの?
街にひとつしかないわけじゃないんだから、楽しさのかたちなんて。
深い理由であれ浅い理由であれ関係なく、この街を選んだのは️ジョー自身だろ。
それが楽しいかどうかは置いといて、まずは触れてみなよ。
楽しめるかどうかを決める要因は、選ぶ前じゃなくて、選んでからだと思うんだよね。
触れてから考えようよ、そんなに悪くはないと思うよ?』

全てを肯定する気はないが、笑顔で言い放つ彼のその言葉は僕の心のどこかしらに力強くささった。

そうだね、ちょっとこれからが楽しくなってきたかも。
そう思えた今この瞬間が、僕の高円寺ライフ、スタートの合図だ。


⇒次回、第2話へ続く。(3月30日更新予定です。)

著者・プロフィール

玉川 アキラ

東京都出身、ヒッピー文化発祥の地である国分寺で大半を過ごす。

『韋駄天』『ゆらりゆられゆるりらと』『転生したら友達が増えた』などのノンフィクション作品で知られるが、壮大なスケール構成なため筆が進まず、どの作品もタイトル以外は完成していないことから、『未完の大器』と業界では囁かれている。

産声をあげたその瞬間からカレーの匂いが苦手であるゆえ、今ではカレーの匂いを皮膚が感知した瞬間に、鼻呼吸から口呼吸に自動に切り替えられるように身体を進化させている。

普段はFXトレーダーとして活動しているが、裏では高円寺のフードパブ『Ahola』の店主を気取っている。

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【写真】望月泰貴