あなたにとって「良い暮らし」とはどのようなものですか?
”高円寺の女王”と物騒なキャッチコピーで呼ばれつつも、
超庶民派ミュージシャンのうじょうりえが
高円寺目線での「良い暮らし」を伝えていく
高円寺の”庶民派”女王・のうじょうコラム
6月度お送りします!
目次
いつかは卒業する街
友人がどんどん引っ越していく。特に仲の良い。
会おうと思えば会えるし、元気でいてくれるならそれで良いのだけれど
大袈裟な話、わたしはちゃんとこの街で生きていけるのだろうかと思ってしまう。
以前わたしが遠征で名古屋へ行っているとき、毎日のように遊んでいた友達から電話が来て「近くにいないだけで寂しいから早く帰ってきて」と泣かれたことがある。
流石に笑ってしまったけど、これだからこの街もこの人達からも抜け出せないんだよとなった。
友人が引っ越していく度に、そのときの自分の気持ちと電話してきた子の気持ちどちらも感じる。
人間はご飯を食べる、眠ることをするだけで生きていける。
この人がいなければとか、これがなければ生きていけないというのは本当はあり得ない。
だって最初はなかったんだもん。
分かっているのに思ってしまうのが人間で、答えのない無限ループの中でずっと生活している。わたしはそう。
今自分が音楽をやっていることだって、そうじゃない未来も全然あっただろうし
家庭を持ちたいと今の所一切思っていないわたしでも、もしかしたら子供を産んで違う幸せの中にいたかもしれないと少しは想像する。
投げやりな訳ではないんだけど、ここまで来ると違う人生を考えたくもないというか
自分の選んだ道を迷わず歩けるように、よそ見しないでいるというか。
こういう言い方をすると今にもブレちゃいそうに聞こえるけど断じて違う。
大きな別れ道を1つ選んでしまったら、他の道に行き直すことは中々できない。横道でもあればいいけどそんなに都合良くいかないもんなのよ。
引き返すつもりもない自分の人生の一部を彩ってくれていた友人がいなくなっていく、その事実は確実にわたしに風穴を開ける。カッコつけず言うと寂しい。
楽しいだけではなくて傷付いたりも人生の醍醐味だと思っているし、それなりにわたしも大人になれて好きな人の幸せを曇りなく願えるようになったから、皆が変わっていくことも受け入れていくことも良いことなんだ。
わたしは同じ場所にいるからそんなに変われていないかもだけど、たった1人いるかいないかですごく自分が変わったような気もする。
人は1人では生きていけないというのをこんなときにも感じる。
あの人が向かった先にも沢山素敵なことが待っているのだろう。
先に「も」と書いたのは一緒にいた時間を良かったなあと思い出して欲しい願望も込めて。未練がましく。
友達のグッナイ小形も、家族で高円寺を離れて北海道に行く。
一応送別会みたいな普段の飲み会みたいなのをやった。
大体いつものメンバーで、いつもと同じ飲み方をして、いつもと同じ遊び方をして
居心地の良い人というのは一緒にい続けると当たり前に慣れていくはずなのに、この人達はいつだって鮮度が高くて、取るに足らないことで笑えて、辛いときはただそっといてくれる。
来ていない高橋さんの名前を付けたスマブラのキャラをボコボコにしたり、ゲームやってない人達はキッチンで煙草吸いながら喋ってたりでなんとも自由である。
帰り道の車で運転主と助手席に座っていた子が何やら数を数えていて、何しているのかと聞いたら「帰り道に何個コンビニがあるか予想ゲームしてる」と。
その流れで後ろに座っていた我々もそれぞれ決めた建物の数を数え始めて、このゲームがやたらと白熱した。
こんなことでそこまで盛り上がれるんだと、こいつらは天才だと思ったね。
わたしはチョコザップを数えることにしたんだけど4つ予想のところ結果は3つ、惜しくも当たらず。
ちなみに1時間くらいでコンビニは45個?ほどあった。東京すげえな。
皆きちんと大人をやってるんだけど、大人になろうとしている人が側から見たらこれが大人なのか?となりそう。
泥酔してたら訳分からないこともやったりするけど、シラフでも同じ遊び方をすると思う。
無意識に楽しいことを見付けたり、目の前のことを楽しもうとする才能のある人ってたまにいる。
楽しむことに貪欲だったり遊ぶことに陶酔しているのかもしれない。
大人になりきってしまったからこそ、子供時代の無邪気さを妬み羨むのではなく取り戻すように思いっきり遊んで、大切さを噛み締めている。
わたしは1人ではこれをきっと保てなくて、周りの人達が会う度に思い出させてくれる。
居酒屋行ったときわたしの傘が取り違えられてめちゃくちゃ小さくなっていたの面白すぎて、でもこんなの大して面白くないでしょ?
でもわたし達ゲラゲラ笑って、向かいのバーの知らない店員さんもちっさ!とか言ってくれてさ、わたしその傘見て次の日も笑っちゃったんだよね。
ある日のライブの帰り道、さくらちゃん(グッナイ小形の奥さん)から電話が来た。
いま高円寺にいるんですけど飲みに行きませんか?と
ライブ終わりなので22:30を過ぎていた。
小形家には1歳になる可愛い男の子がいるのでさくらちゃんがソロで飲みに出掛けていることはもちろんかなりレア。
引っ越しも決まっているし、たまには小形さんに息子くんを見てもらって今日は遊びたいと話していた。
突然の集合の合図だったけど、そんな機会を逃す訳にはとわらわら集まった。
「馬力」からの「祭り太鼓」という高円寺夜更かし呑兵衛に打ってつけの居酒屋をはしごして、
最後わたしの家に皆来たんだけど、わたしは珍しくその日潰れてしまって着いてすぐに眠ってしまった。
飲んでる最中にあんな寝落ちの仕方をするの最近ではあまりなくて、油断していたとしか考えられなかった。
その日皆靴が黒くて、明らかにアパートの定員を超えた靴の数、誰かしら履き違えて帰りそうなほどごちゃっとした玄関が真っ黒だった。
目が覚めたら傘は忘れられているわ、缶ビール数口しか飲んでいないのでは?ってほど残ってるわ、つまみをカーペットに溢された形跡があるわでめちゃくちゃだった。ファミマのキムチもやし大量に買ったやつ誰だ。片付けしながら1人で突っ込んでいた。
こんな光景あと何回見ていけるんだろうな。
視界から愛おしかった。
高円寺は「いつかは卒業する街」らしい。
人は色々なものから卒業していかなくてはいけない生き物なのだろうか。
わたしはずっと留年していたいけれど、それじゃダメかな。
好きな人に会ったとき、カッコ良い自分でありたいとは思う。
皆どこかでどうせ幸せになるんだろうから、わたしも自分なりの幸せを持ち続けたい。
なんとなくぼけっと毎日を生きるというのはしたくないし、するつもりもない。
そうしてる内にわたしもあなたもまた1つ大人になっていくんだろうな。
あの頃は良かったなんて絶対言いたくない。ただの思い出みたいな輪郭のないものにしてたまるか。
そんなにぞんざいに扱えない。そんなの自分にも人にも日々にも失礼だ。
だからどうか子供のままここに帰ってきて欲しい。
大切なことだと思うから。
わたしは迎えには行かずに待っていたい。
次回は、7月初旬の更新予定です。
ライタープロフィール
のうじょうりえ
千葉県出身、高円寺発。
キャッチコピーは人間大好きシンガーソングライター。
「高円寺の女王」の異名も持つ。
コロナ禍現在も東京を中心に月10本前後のライブに加え、路上ライブ、配信、遠征ライブなど精力的に活動。
音楽で生計を立てている。
高円寺を愛し盛り上げたいという思いと、高円寺駅を土日祝日も快速が停まる街にしたい、という秘かな野望がある。
地元千葉への愛も忘れず、台風15号の際チャリティー路上ライブを行い、集まった¥83,890を千葉県へ全額寄付している。
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