あなたにとって「良い暮らし」とはどのようなものですか?
”高円寺の女王”と物騒なキャッチコピーで呼ばれつつも、
超庶民派ミュージシャンのうじょうりえが
高円寺の目線で「良い暮らし」を伝えていく
高円寺の”庶民派”女王・のうじょうコラム
11月度お送りします!
目次
ネタ
コラムを書くとき、携帯の写真フォルダを見返しながら内容を決めることが多い。
写真が趣味な訳ではないけど、食べた物とか景色とかはよく撮る。
どこに上げる予定でもないのに、なんとなくいつの間にか撮っている。
自分や人物の写真はあまり撮らない。
必要なこと意外で自分の写真を撮ってこなかったからか、人の写真を上手に撮れる気がしなく申し訳ないからか。
習慣がないので撮った方が良かったかもしれない場合もよく忘れる。
写真は撮るより見る方が好きで、好きなポイントとしては瞬間を思い出せるからである。
写真家の友達が遊んでいるとき撮ってくれた写真を見て、好きなことに気が付いた。
この写真を撮られたときこんな気持ちだったな、こんなことを話してたなとその瞬間が蘇ってきて鳥肌が立ったのを覚えている。
1枚の写真からそう思わせる写真家の友達の腕がすごいのもある。
けれどその後から自分が撮った何気ない写真や、自分が写っていない、そもそもその場にいない全く関係していない写真でも感じるようになった。
写っている人のこと、撮っている人のこと、写真の中の風景のこと。
言葉も音もなく情報が圧倒的に少ないのに、考えようとしなくても流れ込んでくる。
写真って本当にすごい。
コラムは1ヶ月に1度なので、忘れかけてしまった少し前のことを思い出させてくれる写真は重要な情報源である。
正直に話すと今月はネタが中々浮かばなくてかなりフォルダを遡っていた。
最近曲を作るペースが早くなって、1日単位で気持ちを曲にできたりしたので
伝えきってしまったように感じて、今回のコラムは書くのが特に難しい。
格好つけているような言い訳のようなで恥ずかしいが、本当なのでしょうがない。
いつも曲にしていることの補足だったり、曲を文章に置き換えているイメージでコラムを書いていて
わたしの音楽を聞いてくれている人には、もうそれ知ってるわって思われてないか若干心配もある。
ネタという小見出しをつけたけど、そもそもネタってなんだ。
人と一緒にいるとき無言でいるのが気まずくて、申し訳なくなってきて、そんなときは必死で頭の中でネタを探していた。
そうなった根本の理由は中学生の頃に「機嫌の浮き沈みが激しいのが嫌」と友達に言われたことだと思う。
自分は無意識なことを指摘されたのでどうしたらいいか悩んで考えた結果、
ずっと笑顔でいたら、ずっと喋っていたら自分の機嫌はバレないんじゃないか。と行き着いた記憶がある。
何年もそうしてきて大人になった今思う。
それは本当の自分じゃないんじゃないか。
確かに多くの人から嫌な人間に見られづらくはなるだろう。
優しそうな人の方が当たり前に印象は良い。
でも友達だと思える人に自分を取り繕うのはどんなに悲しいことだろう。
友達だと思ってくれる人にどれだけ失礼なことだろう。
本当の友達だったらお互いの気持ちを伝えて分かろうとし合えるんじゃないか。
話の繋ぎのネタなんて必要ないんじゃないか。
自分がしてきたこと、ましてや長い間してきたことを変えたり手放したり改めたりするのは怖い。
でも人は変わるし成長する。
伴って考え方や行動が変化していくのはおかしなことじゃない。
むしろそうあるべきなんじゃないか。
同じ自分に留まって成長を自ら止めてしまう人生なんて嫌だ。
それならちゃんと自分や人と向き合いながら変わっていくのも自然なことなんだろう。
時が経って姿形が変わっていくように、中身が変わるのも生きているから。
その中で変わらず大事にしたいものを一緒に持っていくことだけ忘れないようにすれば。
自分の人生で最後に残るものはなんだろう。
迷ったり悩んでしまうのが人間だから、タイミングによって変わっていくんだろうけど
そんなことをたまに考えてみてもいいのかもしれない。
答えが出なくても。
今はまだ分からないけど、愛だけは置いておきたい。とひとまず思う。
高円寺カフェテラスごんのオムライス
人や街やお店や音楽に、教えてもらったことが沢山ある。
永遠に続いていくものはない。みんな平等に時が流れる。
その中で姿形が変わっていって、物なら無くなったり、人なら会えなくなったり。
それを寂しいと悲しいと思うのは自然な感情。
見送ったり見送られたりしながら、人として大きくなって、気が付くことがあって、大事なものを見付けていくんだろう。
高円寺で有名なオムライス屋さん、カフェテラスごんが閉店した。46年営業したそう。
ごんのオムライスを最初に食べたのは高円寺に住む前だった。
わたしが音楽始めたての頃で、高円寺に住んでいるミュージシャンとご飯に行く約束をして、
その子がオムライス好きでオススメの店があるから行こうとなってから
「ふわふわオムライスと、とろとろオムライスどっちが良い?」と質問された。
片方が喫茶店コーラル、もう片方がごんだった。
どっちのオムライスもめちゃくちゃ美味しいので、今となってはどっちがふわふわでどっちがとろとろとしていたか忘れてしまった。
わたしがその日選んだ卵感がコーラルで向かったが、定休日だったのでごんに行った。
正直言ってそのときはその子と話すのに必死で、オムライスの味の記憶がほぼない。
緊張していたんだと思う。
やっと人前でライブできるようになってきた頃のわたしはビビってばかりだった。
また人の手で作られる物とはどういうものなのか、一ミリも分かっていなかった。
色々な経験が足りなかった。
ミュージシャンとしても人としても未熟だった。
今もまだまだだけど、当時よりは幾分ましになったろうと思う。そうであってほしい。
その後すぐ高円寺に住むことにしたのだけど
(その子の影響ではなく元から高円寺が好きだったから)
ごんに足を運んだのは大分経ってからだった。
毎日オムライスが食べたいとなる訳ではないのでたまに、閉店のお知らせを見てから更に多く食べに行った。
終わると分かってから行く回数を増やすような人間になりたくないなあと思いつつ、それでも食べ逃したくなくて。
色んな種類のオムライスを食べたけど、どれも極められたような味をしていた。
味付けが同じじゃなくそれぞれメニューに合わせられていて、何回も味見したり研究しなきゃこう隅々丁寧な味に行き着かないんじゃないか。
お客さんのことを考え続けてくれたんだろうと感じた。
真剣に向き合うとはこういうことなのかもしれない。
考え続けること。
ごんの場合は料理で、わたしの場合は音楽で
わたしが46年生きたとき、ごんに追いつけるだろうか。
人をこんなに深く思いやれるのか。
最後にシンプルなプレーンオムライスを食べながら、そんなことを考えていた。
何かが終わるとき新しく始まることに希望を寄せたり
会えないあの人が今いる場所でも笑っていてくれたらと願ったり
さよならが辛いこととは限らないと信じたりできるようになった。少しずつ。
今も教わってばかりいる。
その度に感銘を受けたり、自信がなくなったりもするが
考えることを諦めたくない。
疲れちゃったら美味しい物を食べに出掛けよう。
考えてくれている人がその先にいるから。