生き物が大好きで毎日のように動画を見ている。
猫や犬だけじゃなくあらゆる生き物の動画を。
何なら虫も結構好きなのでゴキ○リ以外の生き物は大体好きだ。
それだけ生き物が好きなので飼いたい気持ちはあった。
でも以前フトアゴヒゲトカゲというトカゲを飼ったとき、あまり長生きさせてあげられなくてその事をずっと引きずっていたので自分には動物を育てることは無理なんだと諦めていた。
でも植物なら自分でも育てられるかもしれない。
募金したら朝顔の種をもらえるっていうのがあって、その種を育て始めた。
朝顔は小学校で育てた記憶があるが、育て方は全く覚えていなかった。
自力で調べながら育てて、夏の朝に朝顔が元気に咲きまくっているのを見られたときは嬉しかった。
(花育てたいけど自信ないなって人も朝顔はかなり強い植物なのでオススメ)
母の影響か花も好きで、朝顔を育てられたのをきっかけに色々な植物を家で育てるようになった。
種や球根から育てて季節の花を愛でたり、多肉植物の成長を見守ったり。
チューリップが咲いたときにベランダでパスタ食べながらプチ花見したの楽しかったな。
動物を飼えないと思っていた理由はまだある。
上京したての頃は家賃を払うのもギリギリで自分の面倒も見られていなかった。
その日暮らしとはああいう暮らしのことだろう。
預金残高と直近の支払いの予定を照らし合わせていた。
そういう状況のときって口座から引き落としされると、あると思っていたお金がなくなって困るから、公共料金とか全て用紙で支払いするんだよね。
これあるあるな気がする。わたしの周りだけだったか、、?
自分の生活もままなっていないので、他の生き物の面倒を見られる訳がない。
面倒を見るというよりかは命を預かることになる。
飼っている生き物はわたしがいないと生きていけない。
生半可な気持ちでは絶対にダメだから、いつか自分の生活が何とかなって、覚悟もできたら。
そんな日が来るか分からなかったけど、もし来たら生き物を飼いたいと思っていた。
そしてなんとこの度、、、
猫が家に来た!!!!

どう考えても最高すぎる。
家に猫がいる生活が夢みたいだ。
自分が外でどんな気持ちになって帰ってきても、猫はいつも変わらず過ごしてる。
それにどれだけ癒されるか。
名を「じろう」と言う。
じろうは保護猫で施設からもらって来た。
飼うなら保護された子がいいなというのはずっと考えていて、保護猫の活動をしていたことがある人に施設を紹介してもらった。
その施設は保健所に収容された犬と猫を保護している。
わたしは動物の保護施設に行くのは初めてだったので、事前に「ペットショップと全然違うからショックを受けるかもしれない」とは伝えられていた。
施設にいる子の写真とプロフィールがホームページに載っていたので事前に見ていたが、確かに病気や怪我など持っている子も多かった。
覚悟はしていたが、行ってみるとそこには丁寧にお世話されのびのびと過ごす猫と犬がいた。
申し訳ないが酷い環境を想像していたし、保護された動物はもっと人間にブチギレている印象だったので
「触ってみますか?」と聞かれたときは驚いた。触れるの、、?と。
清潔なのはもちろん、人に慣れている。
人を怖くないと思っているすなわち普段から人に優しくしてもらっているということなので、すごく良いスタッフさんと施設なんだと思った。
目が開いていない子もいて写真で見たときは正直に言うと怖いと思ってしまったんだけど、実際会って触ったらすっごく可愛いくて、見た目なんかじゃなくてやっぱり性格と相性だなと思った。
人も人以外も同じなんだな。
とは言ってもこの子達は全員一度は保健所に行った子達。
わたしが行った施設は里親が見つからなくても保健所に戻すことはなく生涯お世話するそうだが、保健所自体は収容されてから殺処分まで1週間ほどしかないらしい。
ということは皆命を落とす寸前だったのだ。
施設にいる子皆連れて帰りたいのは山々だがそれはできない。
どの子を連れて帰るか考えながら、命の選択をしているような気持ちになって気が滅入った。
じゃあ選べないから誰も選ばない、というのも違う。
何もしないよりはきっと良い。
そしてじろうを選んだ。
かなり時間をかけて考えた。理由は色々ある。
わたしは実家で猫を飼っていたことはあったけど自力で飼うのは初めて。
初めてで挫折してしまったらその後トラウマになってしまう。
トラウマになってしまったら自分も猫も救われず幸せになれない。
もし今後もまた保護猫をもらう機会があったとしても怖くて飼えないだろう。
じろうは健康なのでお世話にコツが必要ということもなかった。
人に触られるのが特に大好きな猫だったので、構ってしまいそうな自分にも合っている気がした。
元々は家猫で飼い主さんが亡くなってしまい、保健所に行ったと聞いた。
過去の話を聞いて相手の気持ちになってしまう。これも人も人以外の生き物も同じ。
施設の案内にも「この子でいい、ではなくこの子がいい、という子を選んで下さい」と書いてあった。
その意味はこういうことかと思った。
もし保護猫や保護犬をもらおうか悩んでいる人がいたら、譲渡会や保護施設に行ってみてほしいなと思う。
認識を間違えていたわたしが言うべきだと思うんだけど、施設は想像していたような怖いイメージは全くなくて皆可愛いかった。
テレビで猫の保護活動をしている人が「野良になってしまった猫は被害者だ。被害を減らすという認識」と言っていた。
猫が来てくれて幸せだし、元気に過ごしてくれているけど
保健所にまで行ったこの子を見ていると、世界には自分が見ていないだけの悲しみがまだまだ沢山あるんだと思った。
この子だけじゃなくてどの子も悲しい過去があるのを施設で聞いてきた。
幸せの数は多ければ多い方が良い。
無理はしない範囲で、もし助けたいなと思ったら是非動いてみてほしいとは思う。
じろうは推定1歳7ヶ月。成猫だ。
家に連れてきてすぐは施設にいたときと別猫のように固まって物陰から出てこなかった。
それが2週間ほどでこうだ。

じろうが来てくれてから前向きに過ごせる時間が圧倒的に増えた。
携帯の写真フォルダも白いモフモフの割合が増えた。
今わたしは高円寺を離れたのだが、生活環境が変わると別の幸せがその先にあったりもするんだなと思っている。
高円寺での生活も幸せだった。
人がいて好きな街が目の前にある。
その幸せは今はないけど、今住んでいる所でまた違う幸せを見付けていく。
しかし高円寺は離れても離れた気がしないから不思議だ。
以前のコラムで「いつでも心に高円寺がある」と書いたがそれを早くも体感している。
住んでいたときは家から出たら数分で駅に着いたけど、今はもっとずっと時間がかかる。
でもただそれだけ。
時間が少しかかかるだけで、高円寺はすぐそこにある。
毎月ライブなどで高円寺には行くけど、やっぱり近い。
この近いは物理的な距離のことじゃない。
懐かしい寂しいって気持ちもまだ芽生えない。
引っ越したばかりだから?猫が来てくれたから?とは違う気がする。
わたしが高円寺に頼らなくても大丈夫になったのかもしれない。
高円寺の「好き」を常に側に置かなくても自分を安定させられるようになった。
だからたまに摂取しに行く「好き」だけで満足できる。
きっとわたしから悩みがなくなることはない。
何をしていても考えてしまうと思う。
だから自分にとってベストな環境を選んでいく。
そうすれば困難も少しは楽になる。
今までは高円寺だったのが今は違う場所になった。
人は変わるのだからその時によってベストなものも変わっていくものなんだろう。
選択が正しいかどうかは分からない。
分からないから間違ってなかったって言えるような、思われるような生き方をしていきたい。
わたしたち間違えてなかったよねって言い合えるような人生にしたい。
正しいかどうか決めるのは誰でもなく、自分自身。
自分の生き方次第なんだ。



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