ドラマ
せっかちな性格のせいで、漫画や雑誌の次巻を待つというのができず、途中で止めてしまう。
1週間待てば見られるドラマですら例に漏れず。
周りの人達がドラマの話をしているのについていけなくなったのは、いつ頃だったかな。
最終下校時間が決まっていた中学までは帰りもそんなに遅くならないから、夜のドラマをちゃんと見ていた。
テレビより部活(ソフトボール部)だった高校からは、テレビ自体かなり見なくなったと思う。
高校卒業後のフリーター時代は飲食店勤務で、帰るのが深夜なのでテレビをつけたら通販番組しかやってなかった。
どんどんテレビから離れ、一人暮らししてからもテレビはあるのにケーブルは繋がず、完全にゲーム用にしていた。
ただ、テレビって良いなあとは見る度に思っていた。
家で見ない分、ご飯屋さんでテレビが流れているとやたら見てしまっていたし。
とうとう自宅でケーブルを繋ぎテレビを点けたとき、馴染みがなさすぎて居酒屋にいるような気分になった。
YouTube時代と関係ない所でテレビ離れしていったわたしだが、最近思わず目を凝らして見てしまうドラマがある。
「じゃあ、あんたが作ってみろよ」だ。
夜型の人間にとっては有り難い、22時スタート。
とりあえずテレビをつけていると、目に入ってくることが多い。
ドラマに関心が向かないので、こうして偶然目にするというのが意外と肝心なのだ。
ドラマの内容も面白くそのまま見てしまうのだが、それ以外で「じゃあ、あんたが作ってみろよ」が気になる理由も明確にある。
高円寺が舞台になっているのだ。
親しみのある景色で物語が進んでいく。
これはあそこだ!と胸が高鳴ったり、これはどこだろう?とネットで調べてしまったり。
このような楽しみ方をして良いのか後ろめたさはあるのだが、物語の中の人物がかつて自分も過ごしていた高円寺の中で生きているのだと思うと、違う見方までしてしまうのだ。
ドラマの中から「高円寺ぽさ」を所々に感じる。
ファッションや部屋の内装やお店など、視覚的な部分だけじゃない。
会話や空気感だ。
こういうやり取り、高円寺にいたときよくあったなあと自分の思い出と重ねてしまう。
勝手な先入観で見ているのだろうか。
ただそれならむしろ、こんなの高円寺じゃない!と否定したくなるのではないだろうか。
ドラマを観ながら、懐かしいという感情すら湧いてくる。
今の生活に満足しているかどうかは関係なく、あの頃良かったな楽しかったなと思い出に浸る時間は生まれるのだなと。
ドラマを見ていると、これは現実では起こらないだろと思う部分も多い。
でも生活を切り取って客観的に見てみたら、誰もがドラマにできるような日々を送っているものだとわたしは思う。
生活は単純ではないのだ。
普通のように感じても、少なくともつまらないものではない。
ただし、人生はドラマではない。
用意されたエンディングはない。
脚本のない物語の途中にいるのだ。
まだ続きがあるのかもしれない、なんて考えていると、なんとかなる気がしてくる。
自分で作り上げていくものなのだろう。
髪を切る
髪を整えに吉祥寺に行く。
吉祥寺は武蔵野市なのに、高円寺から電車で10分程度なので同じ杉並区と錯覚してしまう。
わたしは千葉市出身なのだが、5分歩けばお隣の四街道市に入るような、かなり端の方に住んでいた。
最寄りの学校も四街道の方が圧倒的に近かったのに、区分によりプラス15分かけて千葉市の学校に通わなくてはいけなかった。
そのやるせなさと一苦労もあってか、子供の頃は隣の市というのは大分遠くに感じていた。
ただ市が変わるというだけで、境目から向こうに住んでいる人の雰囲気も街並みもまるで違うように見えて。
何も知らないが故の、子供らしい偏見だった。
今では市も区も気にせず過ごせているのは、大人になって自分の目で見て、自分の意思で行って知ることができたからだろう。
吉祥寺の美容室に行くのは、そこで友達が働いているからだ。
高円寺の友達で、まあなんというかわたしの高円寺の青春時代を一緒に過ごしてくれた人だ。
普段お酒を飲んでも記憶を飛ばすことは滅多にないのだが、人生で2回だけ丸々記憶をすっ飛ばしたことがある。
奇しくもその2回とも彼女と飲んだときなのだ。
誤解しないでほしいのは、この子が飲ませてきたのではなく、わたしが勝手に飲み過ぎたという点だ。
大分迷惑をかけた自認があるが、嫌わずよく一緒にいてくれるものだ。
言い訳みたいになってしまうが、多分この子といると安心して酔ってしまうのだと思う。
わたしは今は黒髪だが、数年前まではずっと派手な色にしていた。
19歳の頃から10年くらい髪を染め続けていたので、最早自分の地毛がどんな色なのかも分からなくなっていた。
月1、2回ほど髪色を変えていたので頭皮の心配もかなりされたが、髪色を変えるのは趣味に近かった。
定期的に容姿を変えないと気分が落ちていくのだ。
1番手軽なのが髪色を変えることで、脱色さえできていればヘアマニキュアを使うだけですぐに色が変えられる。
しかもヘアマニキュアは髪が傷みにくく、その辺のドラッグストアなどで売っているので、なんとなく気分を変えたいときにもってこいだった。
容姿を変えると自分を整えている気になれる。
似合っているかどうかは別にいいのだ。
やることに意味がある。
誰かに前の方が良かったとか言われても、自分が良ければそれで良い。
自分に手間をかけることによって、自分を大事にしているような感覚を得られる。
高校の頃お洒落な先生がいて、「お洒落は自分の為にするものよ」と言っていた意味が今ならよく分かる。
わたしはミュージシャンなので、容姿なんて加味されずに音楽を聞いてもらいたい。
それでもライブのときに化粧をするのは、紛れもなく自分の為だ。
化粧をしていると、いつもより前を向ける気がする。
ほんの少し自分の背中を押してくれるものだ。
ただでさえ人の目を見て話すのが苦手なわたしが、化粧をしたらいつもよりはましになる。
それに化粧は割と好きだ。
面倒ではあるけど、変わっていく自分を見るのは楽しい。
そういえばスライムを混ぜる動画や石鹸を切る動画、絵の描き始めから完成までの動画などよく見る。
物が変化していく様子を見るのが好きなのだと思う。
化粧は自分の顔でそれが起こっているので、楽しいと思うのは自然だ。
ある日突然黒髪にしたときもそれはそれで心配されたが、似合う似合わないは別として、自分にとっての正解は黒髪だったと気が付いた。
その答えに辿り着くまで10年も掛かったのか。
やらないと分からないものである。
髪型は髪色ほど頻繁には変えられない。
2ヶ月ほど経てば同じ髪型に飽きるのは目に見えているので、いつも次の髪型も見越しながら髪を切る。
自分の性格と付き合うのも大分上手になってきた。
いくら前の髪型の評判が良かったとしても、同じ髪型を維持するのは自分の精神が無理なのだ。
人の評価より、こうして自分の軸で生きるのを、髪型に限らずできたらいいのに。
と思う今日この頃。
今回写真がなさすぎるので、最後に富士そば吉祥寺店限定の黒こしょうマヨカレーカツ丼を載せておく。
尚、めちゃくちゃ美味しかった。

ライタープロフィール

のうじょうりえ
千葉県出身のシンガーソングライター、エッセイスト。
日々の悲しみや弱さや喜びの心象風景を「生きること」に視点を置いた文学的歌詞と言葉と共に、圧倒的なリアリティを持った美しい歌声とアコースティックサウンドで、自分自身と向き合う為の音楽を発表。年間でワンマンライブやサーキットフェスを含む200本近いライブ活動を行なう。
エッセイストとしても活動し、2022年より「ツブサ・スギナミ」にてコラムを連載中。
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