“芸人と飲んでいる時間が何よりも楽しい” 演芸おんせん矢巻が描く芸人としての夢と、偶然から始まった16年目の軌跡【演芸おんせん・矢巻駿】

高円寺

今回、ツブサ・スギナミがスポットを当てるのは、マセキ芸能社所属のお笑いコンビ 演芸おんせん 矢巻駿氏。

寄席やライブシーンで圧倒的な存在感を放ち、その知的で洗練された漫才で多くのお笑いファンを魅了してきた演芸おんせん。今回取材した矢巻は、そんな舞台上の印象以上にさらにフランクで、お酒と高円寺をこよなく愛する等身大の人物であった。

大学受験の挫折から始まったという意外な芸人人生のスタート、オーディションに10回連続で落ち続けた苦悩の時期、高円寺の居酒屋で起きた先輩芸人との心温まるエピソード、そしてコンビの活動休止を乗り越えて見据える「M-1グランプリ」への執念。

結成16年目を迎えた今だからこそ語れる、彼のお笑いとこれからの未来について、じっくり話を伺った。

偶然の選択から始まった16年。人力舎からマセキ芸能社に拾われるまで

ー 矢巻さんがお笑いの世界に足を踏み入れたきっかけは何だったのですか?

矢巻:実は僕、最初は全然芸人になるつもりはなかったんですよ。元々は日芸(日本大学芸術学部)に行きたくて大学浪人をしていたんですけど、受験に失敗してしまって「これからどうしよう」ってなったんです。その時に親から「とにかく何でもいいから学校に行きなさい」と言われまして。

その当時、ちょうど5月入学できる学校を探していたら、人力舎の養成所(スクールJCA)が東高円寺にあって、まだ願書を受け付けていたんです。お笑いはずっとなんとなく好きで気になってて、ただNSCなんかは時期的に願書を締め切っていたので「まあ、お笑い好きだしな」くらいの軽いノリで入りました。そんな軽いノリで始めたんですけど、あんまりそのノリのまま16年も続けているやつは同期にもいないと思いますね(笑)

ー 偶然のタイミングが重なったのですね。そこからどのような経緯で現在のマセキ芸能社に所属することになったのでしょうか?

矢巻:養成所を卒業するタイミングで、僕は結局人力舎に所属することができなかったんですよね。その時の同期に今の相方(当時は人力舎に所属)がいて、当時はお互いに別のコンビを組んでいたんですけど解散してしまって。そこから僕がプラプラしていたところ、相方に誘われて新しくコンビを組むことになりました。

その当時、事務所所属のオーディションをやっていたのがマセキ芸能社や浅井企画、ケイダッシュステージといくつかあって、一通り受けに行きました。最初に受けたのがマセキだったんですけど、最初は1次審査みたいなのだけポンポンと受かったんですよ。でも、そこから急に全然受からなくなって、マセキのオーディションは10回連続くらいで落ちていましたね。

ー 10回連続は精神的にもきついですね。

矢巻:だから「あ、俺たちはマセキには入れないのかな」と思って、一時期オーディションを受けにいくのをやめていたんです。その間もいろんな事務所のオーディションを回っていたんですけど、どこも手応えがなくて。それで、1年ぶりくらいにもう一回ダメ元でマセキのオーディションを受けに行ってみたら、なぜかそこから気づけば受かっていて。本当に僕らを拾ってくれたのがマセキっていう感じですね。

ー 芸歴で言うと何年目くらいのことだったのですか?

矢巻:確か2年目くらいの時期だったと思いますね。僕らコンビを組んで一発目の舞台がマセキのライブだったんですけど、そこから今に至るまでずっとお世話になっているので、本当に最高の事務所だなと感謝しています!

ネタの舞台裏と、高円寺が繋ぐ「芸人の絆」

ー 演芸おんせんさんは知的でクセになるような漫才の印象なのですが、ネタ作りはどのようにされているのですか?

矢巻:そう言っていただけるのはすごく嬉しいです!基本的にはネタは相方が全部作っていて、僕はもう普段はヘラヘラ生活してるだけなんです(笑)
最近の相方とは別に仲が悪いわけでもなくて、適度な距離感を保ちながら長くやれているので、すごく穏便なコンビだと思います。僕自身、相方のことは「本当に面白い人だな」って心から思いながらずっと一緒にやっていますから(笑)

ただ、やっぱり周りの方から「ネタが面白い」と言ってもらえると、めちゃくちゃ嬉しいですね。実は僕、自分がやったネタをそんなに鮮明に覚えていられなくて、本番で言わなきゃいけないセリフもガチガチに決まっているわけではないんですよ。

ー それであれだけ完成度の高い、知的な漫才ができるのは驚きです!

矢巻:その場のノリとか空気感でやってるなんて言うと生意気に聞こえちゃうかもしれないですけど(笑)全体の流れだけをしっかり掴んで、あとはその場で紡いでいくようなネタの方が多いんですよね。あ、でも流石に本番前にはめちゃくちゃ練習はしていますよ!ノリとアドリブだけでいけるほど簡単ではないので、そこはちゃんとやっています(笑)

ー 高円寺にまつわるお話も伺いたいのですが、矢巻さんはよく高円寺に来られるのですか?

矢巻:家自体は高円寺から少し離れたところにあるんですけど、結構な頻度で高円寺には来ますね。それこそ昨日も、高円寺の『やきとん野方屋』さんに行っていました。とにかく安くて美味しいんですよ。僕はお酒が大好きなので、飲むとなったらとにかく安くてコスパが良いところに行きますね。

ー 高円寺でお気に入りのお店は他にもありますか?

矢巻:コンセプトカフェの『余白』さんにも行きますし、昔は『祭り太鼓』さんにもよく行っていましたね。とにかく安くて旨いんです。メニューはいろいろあるんですけど、なぜか全部同じ味がする気がするんですよ(笑)でも、それが全部旨いっていう。最近移転しちゃったので、新しくなってからはまだ行けていないんですけど、また絶対に行きたいですね。

ー 高円寺の居酒屋といえば、芸人同士の交流の場でもありますよね。何か印象的なエピソードはありますか?

矢巻:それこそ『野方屋』さんでの話なんですけど、ある日僕が女の子と2人で飲んでいたんですね。そしたら、やたらその子が僕の背中越しに視線を送ってくるなと思って。振り返ってみたら、カウンターの端っこで三四郎の小宮さんが1人で飲まれていたんです。

あ、先輩だと思って、少しだけご挨拶をしたんですけど、僕も連れがいるし、その場は特に深い会話もせずに各々で飲んでいたんです。そしたら、一緒にいた女の子が席を立ってトイレに行った瞬間に、小宮さんがサッと僕のところに歩み寄ってきてくれて「矢巻、ここの会計、俺が払っておくよ」ってサラッと言ってくれたんです。「女の子の分ももちろん俺が払うけど、ここでそれを言うと、女の子が気を使ってそのあと追加で頼みづらくなっちゃうだろ?だから、俺が店を出て帰った後に、俺が奢ってくれたって伝えるなら伝えて」って言われて。めちゃくちゃスマートで、ものすごい気遣いじゃないですか!

「うわ、この先輩かっこよ!」って感動したんですけど、女の子がトイレから戻ってきた瞬間に、僕「小宮さんが全部奢ってくれるらしいよ!」ってすぐにバラしちゃいました(笑)
でも、その女の子も明るい子だったから、すぐに「ごちそうさまです!」って言って、結局お互い何の気も使わずに、そこから2人で楽しく飲ませてもらってご馳走になりましたね。本当に優しくて最高に格好いい先輩です。

あとマセキの仲間だと、ベルナルドの大将さんとか、フランツの馬場、春組織はよく一緒に飲んでいますね。本当は劇場の数が多いので新宿で遊ぶことが一番多いんですけど、毎日のように新宿にいるとさすがに飽きてくるので、高円寺とか四谷三丁目とかに足を延ばして、とにかくお酒を飲みに行っています。

ー 普段の休日などは、どのように過ごされているのですか?

矢巻:最近はプロレスにめちゃくちゃハマっていて、よく試合を見に行っています。今日のこのTシャツもプロレスのやつなんですよ(笑)あとは野球も大好きで、球場に足を運んだりしています。

ネコニスズの舘野さん(赤ちゃん)と地元が一緒で。小学校の先輩にあたる人で、「赤ちゃんが小学校の先輩」って文字にすると変な日本語なんですけど(笑)その赤ちゃんと僕も入っているキャッチボールをするためのLINEグループがあるんです。

高円寺に、ネットの柵で四方を囲まれていてキャッチボールができる公園があるんですけど、そこで前日くらいに「明日キャッチボールできる人いませんか〜?」ってLINEでメンバーを募って、集まった芸人何人かで14時くらいからキャッチボールをするんです。で、15時を過ぎると学校終わりの小学生たちがたくさん来るので、そこは大人としてスマートに公園を譲って、その足で近くの『福来門』さんとかに行って、軽く昼飲みをして帰るっていう。

ー 最高の休日の過ごし方ですね!

矢巻:最高ですよ!この前なんて、LINEで声をかけたのに誰も来なくて、結局僕と赤ちゃんの2人だけでキャッチボールしましたからね(笑)でも、そんな毎日が本当に楽しくて仕方がないです。だからもう、今でもこんなに楽しいのに、これで「売れたらもっと楽しい」って言うじゃないですか。
もし本当に売れちゃったら、自分の人生どうなっちゃうんだろうってワクワクしますね。

活動休止を乗り越えて「M-1グランプリ」ラストイヤーと、オールドメディアへの熱い憧れ

ー 2〜3年ほど前にコンビとして約1年間、活動を休止されていた時期がありましたよね。休止期間中はどのような活動をされていたのですか?

矢巻:相方が体調を崩してお休みすることになって。最初は「コンビ活動が止まって、1人になってこれからどうなるんだろう、大変だな」って不安もあったんですけど、いざ始まってみたら不謹慎ながら結構楽しかったんですね(笑)

ちょうどそのタイミングで、ありがたいことに1人で喋るラジオの仕事が決まったりして、なんとかバイトを辞めることができたんです。周りの芸人仲間や先輩たちも、僕が1人になって可哀想だと思ってくれたのか、いろんなライブにゲストとして呼んでくれたりして、逆にちょっと仕事が増えたりもして。

事務所ライブでは、舞台上のモニターに自分がただただ楽しく過ごしているプライベートのVlogを流して、お客さんに「俺の楽しい1ヶ月」を見せるピンネタを披露したりしていました(笑)
あの期間はあの期間で、本当に周りの支えもあって楽しく活動させてもらいましたね。

ー 苦境の時でも、周囲の優しさと矢巻さんのポジティブさで乗り越えられたのですね。改めて、マセキ芸能社という事務所の居心地はいかがですか?

矢巻:もう、本当に良すぎますね。何の問題も不満も一切ないです。僕たちまだ大きな結果を何も残せていないのに、事務所はそれを受け入れて温かく見守ってくれているし、コンビの活動休止の時だって親身になって許してくれました。本当に居心地が良い最高の事務所です。

ー 結成16年目を迎えた演芸おんせんさんですが、やはりこれからの「賞レース」に対する思いは強いですか?

矢巻:僕らは今、結成16年目でM-1グランプリは一応今年が「ラストイヤー」という扱いになるんですけど、さっきお話しした相方が1年間お休みしていた期間があって。それをM-1の事務局に問い合わせて事情を説明したら、正式に休止期間として認められたんですね。なので、実は特例であと2回出場できることになっています。

とはいえ、芸歴の節目としてはラストイヤーのようなものなので、M-1は本当に今年死に物狂いで頑張りたいですね。だけど本当に今のM-1はすごいことになっていますよね。みんなちゃんと1回戦からめちゃくちゃ面白いですから。去年の大会を振り返ると、2回戦の客席の雰囲気が今までにないくらい温かかったのが印象的でした。これまではもっと客席がどんよりしていて、重たいイメージがあったんですけど、「え、こんなにウケるんだ!」って驚くくらい盛り上がっていて。

昔はM-1に向けて毎月新ネタを6本おろすような過酷な自主ライブをやっていた時期もあったんですけど、それだと気合が入りすぎて相方が参っちゃったので、今はできるだけお互いに無理のない範囲で、ゆるやかに、でも心の中では本気で熱く取り組むようにしています。今の僕たちはライブ数があまり多くない方なんですけど、だからこそ1本1本のライブが貴重な1回なので、余計に舞台が楽しいですね。

ー 今後の活動において、なにか目標があれば教えてください。

矢巻:大きな目標で言うと、やっぱりテレビに出たいですね!僕は根っからのテレビっ子で、テレビが好きで、テレビに出たくて東京に出てきた人間なので。いわゆる「オールドメディア」と言われる場所には、芸人として絶対に爪痕を残したいです。実は僕ら、まだテレビには全然出たことがなくて。

今、周りの仲の良い芸人友達が結構みんなテレビで活躍し始めているので、友達のつてで、たまに出させてもらうことはあったんです。昔「有田ジェネレーション」に出演させてもらったことがあるんですけど、その時、ひな壇にいた芸人も、MCの先輩方も、有田さん以外は全員プライベートで一緒に飲んだことがあるメンバーだったんですよ(笑)

だから、僕らが何か言うとみんなすごく暖かく笑ってくれて。僕は単純に楽しい空間が大好きだし、芸人仲間とお酒を飲んでいる時間が何よりも幸せなんですよね。

ー お笑いを始めた当初と、16年経った今とで、心境の変化はありますか?

矢巻:最初は本当に、大学に落ちたからという理由だけでお笑いを始めたので、まさか自分がここまで芸人を続けるなんて思ってもみなかったです。逆に、芸人を始めてからの方が、どんどんお笑いのことが好きになっていきましたね。高校生の時に東京ダイナマイトさんが大好きでライブを見に行ったり、地元の学園祭に芸人が来たら自転車で見に行ったりはしていましたけど、そこまでコアなお笑いファンではなかったんです。

だから芸人を始めた当初は、「え、芸人って舞台でネタをやらなきゃいけないんだ!?」って驚いたくらいですから(笑)
自分のキャラクターが明るければ、それだけでテレビに出られて、すぐに「東京フレンドパーク」とかに出演させてもらえるものだと本気で思っていました(笑)

ー 最近の若い芸人さんとは、少しスタンスが違うのかもしれませんね。

矢巻:そうですね。今の若い子たちを見ると、テレビにはそこまで関心がなくて、「とにかく純粋にネタがやりたい、漫才を極めたい」というストイックな人も多いじゃないですか。僕らが芸人を始めたのはちょうど旧M-1グランプリが終わったくらいの時期で、キングオブコントもまだ始まっていない頃でした。もちろんM-1は一視聴者として観ていましたけど、ただただ「楽しいテレビ番組」として楽しんでいたんです。

だからと言って、ネタが嫌いなわけでは全然なくて漫才は大好きです。ただ、僕は芸人である以上、テレビもラジオも、あらゆるメディアにどんどん出ていきたい。そして今の時代だからこそ、賞レースも含めて「ネタのクオリティ」が何よりも重視されていると感じるので、大好きな高円寺で仲間と楽しくお酒を飲みつつ、演芸おんせんとしてのネタもしっかり磨き上げていきたいですね!

【演芸おんせん・矢巻駿】プロフィール

演芸おんせん 矢巻駿

1990年、群馬県前橋市出身。マセキ芸能社所属

19歳の時に上京し、人力舎の養成所(スクールJCA)に入学。

卒業後、同期であった現在の相方・杉山栄一とコンビを結成し、フリーでの活動や数々のオーディションを経て、マセキ芸能社に所属となる。

2020年にコンビ名を「演芸おんせん」に改名。同年の「M-1グランプリ2020」では準々決勝に進出するなど、主要な賞レースや寄席で確かな実力を示しており、知的で洗練された漫才で高い評価を得ている。また、TBS「有田ジェネレーション」でのレギュラー出演経験も持つ。

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【取材執筆・写真家 伊藤夏希】プロフィール


伊藤夏希

1998年、宮崎県生まれ、高円寺在住。
武蔵野音楽大学を卒業後、写真家 / 音楽家として、東京・宮崎を拠点に活動する。
2023年に開催した初の写真個展「この街で生きた、あの頃のこと。」を機に、これまでに計7回の写真展を行うほか、“伊藤日記”での名義でカフェやイベントを中心とした演奏活動、音楽配信も行う。
2026年6月23日〜30日、下北現像所にて8回目となる写真展「ピザ、廃墟、船を漕ぐ」を開催。

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