小説「高円寺 in joke」第3話 : 見られない街

高円寺 in joke
文・玉川アキラ
高円寺

前話のあらすじ
~主人公の「小田切(ジョー)」は、飼っているモルモット「ねじ子」の鳴き声で目を覚ます。友人の「岩崎」と高円寺あづま通りにあるバル【Sahar】というお店に入り、店主と会話を楽しみ、帰路について高円寺初日の夜は更けていった。~

⇒前話はこちら

『え?高円寺じゃないの?』

初めて岩崎を新居に招いた際に、彼が新居付近の電信柱を見てそう叫んだ。
それ以来、僕が高円寺に引っ越したと話を聞いた人たちから一番多く聞かれる質問がこれだ。

そう、確かに僕の新居の住所は杉並区の高円寺ではない。
中野区の大和町だ、区からして違っている。

千葉県にあるにも関わらず東京を語る夢の国であったり、滞在している人の9割が埼玉県民であるという噂があることから、もはや東京都ではなく埼玉県だと一部で揶揄されている池袋であったり、ランドマークや地名の問題というのはやや複雑である。

現に武器の代わりにマイクが使用されている某人気アニメの世界では、池袋の西口が世界の中心だと叫ばれていたりもする。

僕はと言えば、高円寺に住んでいるということに一種のステータスを感じ、高円寺在住と言っているわけではない。

最寄り駅も実際に高円寺駅であるし、元々高円寺に執着があったわけではない。
そのことは、既に伝えているから周知のことかと思われる。

何よりも公に高円寺と言っても問題ないと考える理由、それは高円寺の商店街の一つとして知られ、僕が普段通勤路としても利用しているあづま通りにある。
この通りは、高円寺と大和町が融合して成り立っているのだ。

住所的には大和町になる、あづま通りにあるラーメン屋も高円寺店をうたい、同様の焼き鳥屋も高円寺店をうたっているわけだから、僕があづま通り付近の大和町に住んでいても高円寺在住と言うことに何の問題もないのである。

そんなことを考えつつ、高円寺に住んで何週間かの時間が流れ、ある程度高円寺という街を散策していく中で気づいたことがある。

誰も僕を見ていない。

いや、完全に語弊がある言い方になってしまったが、見られていないわけではない。

職場関係者に見られたら眉をひそめられるであろう完全にリラックスという言葉を具現化したような格好で駅前へ出ても、特に誰かの視線が突き刺さるということはない、という意味だ。
誰にも否定の目で見られることがないといった方が正しいか、そんな街なのである。

人に対して興味がないとか、そういったことでは決してない、むしろ人に限らず、物などへの興味関心は高いと思われる。
否定の概念に乏しく、寛容な文化に特化しているということなのかもしれない。

各々が好きなスタイルで生きやすい街だからこそ、様々なスタイルが生まれ育まれ、融合し継承されていっているのかもしれない。
だから僕がどんなに頑張ってリラックスを体現しようとも、日常として溶け込んでしまうのだ。

昨今のヘアースタイルにおけるインナーカラーの流行は、あからさまに誰からも注目を集めるメジャーシーンに立ちたいわけではないけれども、誰にも見られないアンダーグラウンドすぎる世界にいたいわけでもない。
地中から手を伸ばした際に、地上に突き出した掌が世界の誰かしらに見つけてもらえることができたらいいな、そんな儚げな想いを如実に表しているものだと僕は考えている。
そして、この街はそんな想いも受け止めてくれる。

そんな話をある時【Sahar】のマスターにしたら、

『僕が高校3年生の時に、隣のクラスに野球部の尾見くんという子がいたんだけどね、彼が坊主頭を6ミリから3ミリに刈り上げた時に、髪切ったんだねって伝えたら、すごい喜んでいたんだよね、
そこに高円寺っていう街が詰まっている気がするんだよね。
まぁ実際は適当に言ったら、たまたま尾見くんが本当に髪切っていたのと、僕が当時住んでいたのは高円寺じゃなくて、国分寺だったんだけどね、ふぁっふぁっふぁっ。
いいのいいのよ、それもこれも、全部ひっくるめて高円寺なんだよね』

と言っていた、いまいち関係性が分からなかったが、それでいい気もした。

【Sahar】には仕事帰りに週2程度で通うようになっており、マスターとも気兼ねなく会話ができるようになっていた。
今年で62歳になるという人生経験の豊富さから、色々なことを教えてもらっているのだが、僕が聞いたことに対して必ず一度は謙遜し、答えることをはぐらかそうとする。

再度伺うと、嫌な顔もせずにちゃんと教えてくれるところに謙虚さと思慮深さ、そして好きな人にとってはたまらない面倒くささが同居している。

【Sahar】という店名、聞きなれない言葉であったが、アラビア語で、楽しむために就寝が遅くなる、という意味らしい。

なぜそんな言葉を知っているのかというと、マスターの前職はパイロットであり、アラビア文化に精通していた当時の同僚に教えてもらったとのことだった。

翌日も仕事なのに毎日Saharを促す店名って、ちょっと不謹慎で良いよね、そう微笑みながら言うマスターの無邪気さが、僕の睡眠時間をより削っていく要因の一つともなっている。

マスターの高円寺の歴史は古そうだな、この人自体が高円寺の雰囲気を形容している気がするし、時間をかけて街に染まっていったのかな。

そう思った僕の考えとは少し違って、この店をオープンさせるまで、マスターが高円寺に降り立ったことは数回しかないというから驚きだ。

そんな中、なんで高円寺だったのか、マスターは、そんなこと興味ないでしょ、と軽く笑いながら断りを入れるも淡々と話してくれた。

『僕はね、生まれも育ちも国分寺なんだけれど、母方の祖母の家が吉祥寺にあってね、吉祥寺にもよく遊びに行ってたんだよね。
だからパイロットをやめて、東京でお店を出すってなった時に、高円寺以外の選択肢は考えられなかったんだよ』

至極当然のように話をされ、うまく説明できたと思わんばかりに満足げな表情をされているが、あまりよくわからない。
少し怪訝な表情を浮かべていると、一度声をあげて笑った後でこう教えてくれた。

『中央線の三大寺、国分寺、吉祥寺、高円寺のことをそう言うんだけどね、三大寺で高円寺だけ関わってこなかったから、どうせなら全部関わりたいなと思ってね』

なるほど、それで高円寺を、深いような浅いような気がするが、理由に大も小もないし、そこにマスターがストーリーを感じとったのなら、それが正解なんだろうな。

マスターとそんなことを話していた、その時だった、僕の席から一席空けて、カウンターの隣に座っていた女性が遠慮がちにマスターに声をかけた。

『テンさん・・・』


⇒次回、4話へ続く。(4月27日更新予定です。)

著者・プロフィール

高円寺 in joke・玉川アキラ

玉川 アキラ

東京都出身、ヒッピー文化発祥の地である国分寺で大半を過ごす。

『韋駄天』『ゆらりゆられゆるりらと』『転生したら友達が増えた』などのノンフィクション作品で知られるが、壮大なスケール構成なため筆が進まず、どの作品もタイトル以外は完成していないことから、『未完の大器』と業界では囁かれている。

産声をあげたその瞬間からカレーの匂いが苦手であるゆえ、今ではカレーの匂いを皮膚が感知した瞬間に、鼻呼吸から口呼吸に自動に切り替えられるように身体を進化させている。

普段はFXトレーダーとして活動しているが、裏では高円寺のフードパブ『Ahola』の店主を気取っている。

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【写真】望月泰貴