前話のあらすじ
~高円寺あづま通り商店街にある「納豆自動販売機」や、商店街至る所にある「ご自由にどうぞ」。
これらは高円寺独自の文化ともいえる。
この日、4つの選択に出会える「ご自由にどうぞ」の機会に恵まれた。
しかし家にたどり着いたときに、手に持っていたものは何もなかった。
それもまた一つの物語だ。~
⇒前話はこちら
春が過ぎ、夏の到来を目前にして、訪れるもの。
そう、一年に一度、毎年ご丁寧に似たような時期に訪れてくれる律儀な奴。
全然待ちわびてないし、むしろ遠ざけていたけれど、今年もいらっしゃいましたね、梅雨シーズン。
これは梅雨に限らず雨の日全般に言えることだが、まず通勤電車に乗りたくなくなる。
この時期の満員電車は人間には酷だ。
ただでさえ湿気がひどいのに、より不快指数を感じてしまう。
ちくしょう、前に立っている人が持っている傘の水滴が全部僕の足にかかってきやがる。
あぁ、今左足の靴下、指先だけ濡れてる気がする。
なんてことだ、今乗って横にきたやつ、今日は朝から雨だったし、右手にはしっかりと傘を握りしめているのに
なんでそんなにびしょ濡れなんだよ、そこまでの豪雨ではない。
人によって不快に感じるポイントは多々あれど、梅雨の満員電車に感じるポイントはなかなかにして多いものだと思えてしまうゆえに、その足で仕事に向かう足取りは、より重くなってしまうものだ。
とはいえ、梅雨にも良い側面はある。
今までマイナスなイメージばかりを背負ってきた梅雨の僕だったが、ポジティブな一面を見出すことができるようになっていた。
それはひとえに、同期で仲の良い岩崎の存在が大きいのだと思う。
彼の持つ視点はユニークで、僕にはない多様性を持ち合わせている。
共に行動をする時間が多くなっていく中で、自然と僕の考え方も変化していったのだと思う。
最寄りの九段下の駅を降り、会社へと歩みを進めていく中で、雨の滴る音とは別の音がした。
『おちゃ~す』
振り返ると岩崎がにこやかに近づいてきた。
前までは、よろしくお願いします、の意だけで使われていた言葉だったが、
今ではあらゆる場面で使用できる万能な共通言語に昇格したようだ。
『おはよう、梅雨シーズンが今年も来たね』
『きたね~まぁここで降らないと水不足になってしまって、我らの愛すべき白米様が育たないという、緊急事態宣言に匹敵するレベルのやばい事態に陥ってしまうからね。
今年も慣例に従い、甘んじて受け入れようじゃないか』
『でも、梅雨の時期は湿度が高いから、お肌には優しい時期なんだよね』
『あれ?あれれれれ?どうしちゃったの、ジョー君、美容男子に目覚めちゃったの?
コスパも含めて、無印の化粧水最高とか言い出しちゃう感じ?』
『いやいや、そんなこともないけどさ。
悪い面ばかりが目に付く梅雨の中で、良い面も見つけたくてさ』
『へぇ~なんか良いね、朝からすごい良いじゃん、
その逆もやってみると、なお良さげだよね』
『逆っていうと?』
『これは個人差があるんだけど、俺にとっては
プラスの面からマイナスの面を考える方が難しいんだよね。
そっちの方はどうなの?』
考えてみれば、そっちの方は見出そうとしてこなかった。
プラスな面ばかりを見ようとしていたのかもしれない。
面白そうだな、ちょっとやってみるよ。
そう岩崎に告げたタイミングで会社についた、
部署が違うので別れて歩き出した際に岩崎がそっと言ってきた。
『ちなみに梅雨は湿度が高いからお肌にいいけど、室内ではエアコンを効かせてるから、実際はそうでもない、
むしろ乾燥しやすいから気を付けて』
なるほど、梅雨でも良い匂いを漂わせてるだけのことはある。
そんなことがあった朝を飛び越えて、その週の終わり、岩崎と久しぶりにSaharで飲むことになった。
岩崎と行くのは最初の日以来なので、二回目になるのだが、僕一人では何度もお邪魔しており、ありがたいことに
マスターや何人かの常連さんには名前も覚えてもらえるまでになっていた。
前回同様、高円寺駅で待ち合わせをし、北口交番前の横断歩道を渡り、ローソンを右手に道沿いを直進し、突き当りのまいばすけっとを右折する。
少し進んで十字路を左に進めば、あづま通り商店街、しばらく歩いていると右手に赤い外壁が目印のSaharに到着する。
『おぉ、ジョー君、いらっしゃい』
今日も穏やかにマスターが迎え入れてくれた。
『こんばんは、今日は二人で、岩崎っていうんですけど、一番最初に来た日に一緒にきた友達なんですけど、テンさん覚えてますか?』
『ふぁっふぁっふぁっ、もちろん、ひと時も忘れたことなんてないよ』
テンさんの小粋な返しで場が和む、こういう返しがサラッと言えるとかっこいいな。
そう思っていると岩崎がニヤニヤしながら話しかけてきた。
『すごいね~もうすっかり溶け込んでるじゃん。
マスターのことも名前で呼んでるなんて、やるじゃん』
『いやいや、ここまでくるのに結構時間かかったから、岩崎に比べたら全然だよ』
『いや~大したもんだよ、目上の方への親しい呼び方は一度や二度会ったくらいで出来るもんじゃないし、俺ならもっと時間かかってる、すごいよ、うん。
じゃぁ今日はジョーの奢りということで、マスター、一番高いシャンパン下さい』
『よろこんでぇ~』
『いやいや、奢らないし、テンさんも喜ばないで下さいよ』
たくさんの笑い声が響き渡り~どんな雨も今日は虹に変わる~
そんな空間で酒を酌み交わしながら、他愛もない話を一通りした後、
先日の話の続きをすることにした。
『この前の朝にした話なんだけど、プラスの面からマイナスを探すってやつ、ちょっと高円寺を題材にして考えてみたんだけど』
『お、いいね、ちょいと聞かせておくれよ』
『その前にトイレ行ってくる』
なんだよ、笑いながら答える岩崎の言葉を背に、僕は店のトイレに向かい、用を足し、手を洗って、トイレから出た。
席に戻ろうとした僕の視線に映ったのは、グラスを飲み干して、テンさんに向かってグラスを差し出す岩崎の姿だった。
笑顔で陽気な二人の声が響き渡る。
『ガッキーさん~おかわり~おなグラで~』
『よろこんでぇ~』
・・・
⇒次回、7話へ続く。
著者・プロフィール
玉川 アキラ
東京都出身、ヒッピー文化発祥の地である国分寺で大半を過ごす。
『韋駄天』『ゆらりゆられゆるりらと』『転生したら友達が増えた』などのノンフィクション作品で知られるが、壮大なスケール構成なため筆が進まず、どの作品もタイトル以外は完成していないことから、『未完の大器』と業界では囁かれている。
産声をあげたその瞬間からカレーの匂いが苦手であるゆえ、今ではカレーの匂いを皮膚が感知した瞬間に、鼻呼吸から口呼吸に自動に切り替えられるように身体を進化させている。
普段はFXトレーダーとして活動しているが、裏では高円寺のフードパブ『Ahola』の店主を気取っている。
【写真】望月泰貴