ツブサをご覧のみなさんおはようございます、ライター・ピアニストの伊藤夏希です。
高円寺に関わる“若者”にフィーチャーし、その人の生き方や考え、高円寺にまつわるエピソードを深掘りしていく連載「高円寺、若者たち」。
今回紹介するのは、2023年4月、高円寺で新たにオープンしたお店「串カツ玩具-GANG-」店主の森貴充さんです。
普段はお店を切り盛りする傍ら、映像制作やキャリアスクールの講師としても活動されるパラレルワーカーな森さんですが、実はバンドマンとして音楽1本で生きてきた過去も。
今回はそんなバンドマン時代の苦悩から「串カツ玩具-GANG-」をオープンするまでの経緯、また森さんが実現したい“飲食業のカタチ”について深堀していきます!
目次
音楽しかやりたいことがなかった
地元の岡山県はめちゃくちゃ田舎で、一両の汽車が3時間に1本しか走っていなかったし、コンビニまで車で15分かかるような場所だったから本当に何もなくて…
そこで唯一仲の良かった友達と、地域の集会所のような場所を貸してもらって、それぞれの家にあるテレビを持ち込んでスマブラをしたり、機材を持ち込んで音楽をしたり、中学から高校までは、自分たちだけの秘密基地でずっと遊んでいました。
高校受験のタイミングで本当は音楽系の高校に行きたいと思っていたのですが、親から反対されてなくなく普通の進学校へ行くことに。
でもこのままでは、また高校受験と同様に国公立の大学を受験させられると思って、高校では3年間、1日たりとも学校に筆箱を持っていかず、土日は街に唯一あった無人スタジオに朝から晩まで9時間くらい入って、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのコピバンをして遊んだりしていました(笑)
その結果、見事親からも呆れられ、音楽を専門的に学べる日本工学院へ進学することに。 中学生くらいからずっと音楽の道に行きたかったし、目立ちたがり屋だったし、本当に大学に魅力を感じなくて、当時は音楽しかやりたいことがなかったんです。
3歩進んで5歩下がるような苦しいバンドマン時代
専門学校にはレベルの高い特待生や、すでに自主出版をしている人たちがたくさんいて、入学初日から絶望しました。
自分は独学でしか音楽をしてこなかったから何の知識もないし、コードも感覚で覚えていたし、五線譜も読めないから耳コピしかしたことなかったし。だからここで学べばちゃんと音楽ができるんだって思っていたけど、そもそもの経験値がみんなと違うんだなぁと感じて。
絶望しながらも部屋でなんとなくギターを弾いていたら、ある日ばっと曲が降りてきて、それから何故かスラスラと曲が書けるようになったんです。黙々と曲を作り続けていると、専門学校の楽器が上手な先輩たちから呼ばれて、一緒にロックバンドを結成することに。
バンド活動がスタートしてからは、先生方からもすごくプッシュしてもらえて、プロデューサーにも出会えて、レコーディングスタジオも紹介してもらって、初ライブの日には、関係者席に大手音楽事務所の関係者が5社くらい来てくれて、「よければうちの事務所で!」みたいな、「このドラマとかで見るやつ、本当にあったんだ!」って出来事がとんとん拍子で起こりました。
でも、そんな状態だったから自力が全くなく、人を見る目もないまま活動していたので、事務所とのトラブルがとにかく多くて…
19~25歳くらいまでバンド活動をしていたのですが、事務所とのトラブルからバンドの仲も悪くなってしまって解散することに。
3歩進んで5歩下がるみたいな、頑張ってはいたけど、結構苦しいバンドマン時代を過ごしていました。
廃人のような生活の中で見つけた、飲食業への道
バンドを解散してからは廃人のような生活を送っていました。
その当時、家の中では鬱みたいな状態で、本気で死にたいと思っていたんです。一心で何年も音楽をしてきたのに、一瞬でそれが崩れちゃったから、もう俺には何にもないんだなって。
そんなとき、お金はないけど、とりあえず1500円だけ握りしめていけるお店が、阿佐ヶ谷の「でんでん串」でした。
でんでん串でお酒を飲んでいたら、マスターと喋れて、隣のお客さんとも喋れて、気づけば一緒に別のお店に行ってそこでも友達ができて、そしてまた別のお店に行って友達ができる、みたいな。
そんなうれしい経験はじめてで、すごく救われたような、居場所ができたような気持ちになったんです。
知らない人の隣に座って、名前も職業も、年齢も知らない人同士が特に仕事を詮索するわけでもなく、ただそこで生まれる会話をして、またね!みたいな。で、またどこかで会うって最高だなと思って。
そこで「音楽を辞めて、飲食業に身を投じよう」と思い、当時アルバイトで働いていた串カツ田中で1年間くらい社員として働くことに。飲食業の楽しさを日々感じながら働いている中で、ある日バイトの子たちから、進路や受験の相談をされるようになりました。
でも、何も答えられなかったんです。僕はセンターすら受けてこなかったし、就活もしたことないし、本当に何も答えられなくて。そんな自分に「何もこの人たちのために力になれないな」ってモヤモヤしはじめて…
思えば自分はお金を稼ぐよりも、やりがいだけでしかこれまで生きてこなかったことに気付いて、そこでフリーランスになることを決意しました。フリーランスになれば、こうやって悩んでいる人たちを別の角度からアドバイスできるかなと思って。
1年間働いた串カツ田中を退職してからは、とりあえずどうすればフリーランスとして生活できるかを模索します。
当時はPCなんてニコニコ動画を見るくらいでしか使ったことなかったから、何のリテラシーもないままとりあえず“フリーランス”で調べると「プログラミングで稼げる」と出てきたので、「これで人生変えたろ!」と思って、30万円親からお金を借りて商材にぶち込みました、まぁ全然成功しなかったわけですが。そしてまた無職になります。
バンドマンのときと何も変わらず、飲食店でバイトをするような日々。
お金もないからとりあえず錦糸町のシェアハウスに住みはじめたのですが、そこで出会ったシェアハウスの友達が「今日知り合い来るから」と、紹介してくれたのが“ナナシロさん”。 この出会いから、一気に人生が変わることになります。
飲食業だけに捉われないライフワークを目指す
「プログラマー全然合わなかったっすわ。マジなめてました、Tinderしか今やることないです」なんて話をナナシロさんとしていると、「俺今YouTubeしているんだけど、今度YouTubeについての講座をするからもしよければ参加しなよ」と勧められ「ワークキャリア」を受講することに。フリーランスを目指そうとする人のためのキャリアスクールで、ナナシロさんが講師を担当していたのです。
1か月程受講する中で、とりあえず動画編集の基礎はそこで学びました。
編集ソフトを触り始めて2週間くらいでしたが、実際に自分で動画撮影から演出、編集までを行い、YouTuberの動画を完全再現した作品を制作。その動画をポートフォリオに、とにかく営業しまくりましたね。
その結果、なんやかんや大きなお仕事も貰えるようになって、動画の仕事をメインにフリーランスとして生きていけるように。今は動画の仕事もしながら、お世話になったワークキャリアで講師も担当。受講生のキャリア教育にも力を入れています。 いろんな受講生から話を聞く中で、「飲食業が好きだったけど、体を壊してしまったから別の道を考えている」なんて声を聞くことが増えて、「なんで好きな仕事なのに諦めなきゃいけないんだろう…そんなの良くない。それじゃあ俺が店を立ち上げて、自分自身が無理なく飲食業を行えるロールモデルになれば良いのではないか!」と、飲食だけに依存しないライフワークを目指そうという思いに至りました。
誰ひとり諦めなくてもいい飲食業のカタチ
どうにか飲食業ができないものかと考えていた中で、たまたまバンドマン時代に通っていたでんでん串のマスターから、「高円寺で良い場所を見つけたから、よかったら飲食店やってみない?」とお話をもらい、「串カツ玩具-GANG-」をオープンすることに。
最初は週6営業で考えていたのですが、子供がいるので無理もしたくなくて、、それで今は土日限定で営業しています。
今いるスタッフも元々串カツ田中で一緒に働いていた人で、今はWEBの仕事をしながらギャングで働いています。
平日は兄の会社でバックオフィス業務をしつつ、イラストレーターの活動をして、そして土日はギャングみたいな。それぞれ本当に楽しみながら飲食業をしているので、すごく理想的な組織の形ができてきているなと感じますね。
ただ、今後は平日もギャングを営業していきたいと思っているので、子供の様子を見つつスタッフを集めている最中です。
子育てをしながらの仕事だと、どうしてもキャリアの展開がしづらいので、子供もある程度手が離れるようになれば、土日飲食店をしているというのを武器に、もっといろんな業界の仕事もしてみたいなぁと。
それこそいろんな会社に入って組織で働くとかもしてみたい。とにかくやりたいことがたくさんあって、飛び込んでみないと何もわからないから、業界問わずいろんなキャリアを進めていきたいなと思っています。
みんなたくさんの葛藤がある中で生きている。でも自分みたいに飲食に救われる人も多くいるわけだから、誰ひとり諦めなくてもいい飲食業のカタチをこれからも模索していきたいですね。
「串カツ玩具-GANG- 店主・森 貴充」プロフィール
串カツ玩具-GANG- 店主・森貴充
高円寺の立ち飲み屋『#串カツ玩具-GANG-』店主と映像制作のパラレルワーカー。
居酒屋文化に命を救われた経験から『誰ひとり諦めなくてもいい飲食業のカタチ』を作るべく暗中模索している。
ライタープロフィール
伊藤夏希
1998年生まれ。宮崎県宮崎市出身、高円寺在住。
武蔵野音楽大学演奏学科を卒業後、サラリーマン・ライター・写真家・ピアニスト・ピアノ講師・YouTuberとして活動中。
8月27日 ピアノ&サックスコンサート『seaside motel』
9月17日 ピアノソロコンサート『長月、思い出にするには勿体ない』
10月15~31日 写真展『陽炎は終わらない』を開催予定。
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